漫画家の古谷三敏さん死去、85歳 「ダメおやじ」「ぐうたらママ」など人気

[ 2021年12月14日 05:30 ]

古谷三敏さん
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 「ダメおやじ」「BARレモン・ハート」「ぐうたらママ」などの作品で知られる漫画家の古谷三敏(ふるや・みつとし)さんが8日、がんのため死去した。85歳。旧満州(現中国東北部)・奉天(現瀋陽)生まれ。葬儀は親族で行った。後日お別れの会を開く予定。手塚治虫さん、赤塚不二夫さんのアシスタントを務めた。「ダメおやじ」ではシュールで過激なギャグの中にも、サラリーマンの悲哀を描き共感を得た。

 古谷さんの孫で東京都練馬区で「BARレモンハート」のバーテンダーを務める古谷陸さん(31)によると、古谷さんは10月ごろに転倒して背骨を骨折。リハビリをしていたが「最近まで元気で、作品に意欲を見せていた」という。ここ数年は、心臓動脈瘤(りゅう)や前立腺がんなども患い、陸さんは「がんがいろいろ転移してどこが原因かは医者も分からないということでした。最期は家族に見送られて旅立ちました」と話した。闘病しながらも、漫画への情熱は最後まで衰えず、11月2日発売の「漫画アクション」(双葉社)で「BARレモン・ハート」の原稿を仕上げるなど現役を貫いた。同作の今後は未定。

 大阪の洋服店勤務を経て、1955年に「みかんの花咲く丘」でデビュー。手塚治虫さんのアシスタントを経て、赤塚不二夫さんのフジオ・プロダクションに入った。赤塚さんとは1歳違いで、ともに少年時代を旧満州で過ごしたためか、師弟というより“相棒”のような関係。赤塚さんが「僕より一枚上。ギャグの宝庫」と脱帽する笑いのセンスの持ち主で「天才バカボン」「おそ松くん」にアイデアを注ぎ込んだ。

 これとは逆に、古谷さんが70~82年に週刊少年サンデーで連載して大ヒットしたギャグ漫画「ダメおやじ」は、赤塚さんの「父権失墜をテーマにしよう」とのアイデアから始まった。出世と無縁でも自分なりに生き抜こうとするおやじの姿は、サラリーマンらの共感を集めた。古谷さんは晩年のインタビューで「誰もが中流で幸せみたいな空気が流れていた、そんな社会の風潮に、会社でも家でもバカにされているダメな主人公を描き一石を投じたかった」と振り返っている。74年にフジオ・プロから独立後も、「減点パパ」などヒット作を連発。毎日新聞日曜版で75年に始まった「ぐうたらママ」は昨年まで続いていた。

 ギャグや風刺だけでなく、凝り性な性格を生かした“うんちく漫画”でも人気を得た。85年に「BARレモンハート」を始める前には、バーテンダー学校に通い資格を取得。子供の頃から好きだった寄席が題材の「寄席芸人伝」も含め、漫画として未知の題材に挑戦する人でもあった。

 ≪「釣りバカ日誌」北見けんいち氏 同年代がまた…ショック隠せず≫「釣りバカ日誌」の北見けんいち氏(81)は、フジオ・プロで古谷さんの“弟弟子”だった当時を振り返り「同じ満州帰りということもあり、仲良くしてもらった。悲しいね…」と肩を落とした。さいとう・たかをさん、白土三平さん…同年代の漫画家の死が相次ぐことに「みんな次々に逝く。若い頃、僕らは寝る時間を削って描き“普通の人の100年は生きている”と言い合った。自分もあの世に行った方が楽しいのかも」とショックな様子。古谷さんの漫画を「アイデアマンで物語作りが上手。絵は丸くて可愛いが、ギャグは毒や影があった。取材が緻密なのも特長で、多面性が魅力だった」と語った。

 古谷 三敏(ふるや・みつとし)1936年(昭11)8月11日生まれ、旧満州出身。19歳で漫画家デビュー。1958年に手塚治虫さん、63年に赤塚不二夫さんのアシスタントとなる。74年に独立。作品に「寄席芸人伝」「減点パパ」など。79年に「ダメおやじ」で小学館漫画賞を受賞。東京都練馬区の大泉学園駅前に漫画と同名の「BARレモンハート」を経営。

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