高校時代の悲劇、投手1勝、コンバート、トレードにケガ…木村文紀の波乱万丈な第一章終幕

[ 2023年10月11日 08:00 ]

9月20日、引退セレモニーで両軍ナインに胴上げされる木村文紀(撮影・会津 智海)
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 また一人、チームメート、ファンに愛された男がユニホームを脱いだ。日本ハムの木村文紀外野手(35)だ。引退試合となった9月20日の西武―日本ハム戦(ベルーナドーム)に「4番・右翼」で先発出場。4回には古巣の粋な計らいで、登場曲に使用するTUBEの「ひまわり」が流れる中、左翼へ二塁打。試合後には両球団の選手の手で胴上げされた。当日のベルーナドームには17年間のプロ野球生活をねぎらう、あふれんばかりの花が飾られていた。居合わせた記者が「お疲れさま」と声を掛けると「本当疲れましたよ」と、しみじみと話した姿に時の流れを感じた。

 06年秋の高校生ドラフト1巡目で、投手として西武に入団。かつてのエース・渡辺久信(現GM)の背番号41を与えられたが、腰痛の影響もあり、通算41試合、1勝4敗の成績を残し、12年オフに外野手へコンバート。17年に辻発彦前監督が就任すると、強肩を生かした守備とパンチ力を買われ、19年には規定にわずか2打席足りなかったが、右翼のレギュラーとして、リーグ連覇に貢献した。

 21年8月に2対2のトレードで日本ハムに移籍したが、昨年は開幕直後のイースタン・リーグ巨人戦で左太腿裏を肉離れ。試合後に松葉づえをつきながら「若手が多くて大変ですけど、頑張りますよ」と気丈に話してくれた姿が忘れられない。言葉通りに同7月13日の楽天戦では則本から逆転3ランを放つなど奮闘したが、今季は引退試合まで出場機会に恵まれなかった。

 埼玉栄時代には、波瀾(はらん)万丈のプロ生活を想起させるプロローグもあった。2年夏の埼玉大会決勝の春日部共栄戦。4―1で最終回を迎えるも2死満塁、あと1球から4番の靍岡(元横浜)に走者一掃の同点打を浴びた。当時、大学生だった記者もスタンドでぼうぜんとなったことを鮮明に覚えている。続く5番打者に決勝打を打たれ、夢舞台への道はもろくも崩れ去った。「誰もが甲子園だと思ったでしょうね。負けて泣き崩れて、そのあとのことは覚えていないです…。マウンドでフラッシュバックしたこともあります」と、あの悲劇の場面には、その後も悩まされたという。

 後輩の面倒見がよく、西武で主将を務める源田も新人時代からかわいがられた一人で「キムさんのことを嫌いな人はいないですから」と惜別の言葉を送った。来季からは古巣の西武に戻り、2軍スタッフとして第二の人生をスタートさせる。さまざまな経験を必ずや次世代に伝えてくれるだろう。(記者コラム・花里 雄太)

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