【内田雅也の追球】阪神・岡田監督にとって3月3日は“考える”原点を思い返す日

[ 2023年3月4日 08:00 ]

岡田彰布少年の練習場だった玉造公園
Photo By スポニチ

 3月3日は桃の節句、ひな祭りだが、阪神監督・岡田彰布にとっては関係する2人の命日として記憶される。

 作家・西村京太郎は昨年3月3日、肝臓がんのため、91歳で没した。

 岡田は西村のトラベルミステリーを原作とした2時間ドラマが大好きだという。自宅には録画した番組が100本以上あるそうだ。

 「ミステリーや推理ものといってもいろいろある。オレは西村京太郎のものが一番やなあ。先を読む。犯人を当てる。とにかく考えることが好きなんやろうなあ」

 だから将棋も好きで強い。2008年には日本将棋連盟公認の三段の免状を受けている。今春のキャンプには数独の問題集を持ち込んでいた。

 前回監督だった5年間(2004―08年)に「考えてばかりいたら頭が大きくなった。帽子のサイズが大きくなったんよ」という、ウソのようなホントの話がある。

 少年時代から考えてばかりいた。父・勇郎(86年他界)が経営する大阪紙工所が忙しく、朝陽ケ丘幼稚園の入園式も祖母に連れられた。父は「頭が良くないと野球はできんが信条」。大阪市内最古、1872(明治5)年開校の愛日小学校(1990年閉校)に入学、電車を乗り継いで通った。家庭教師もつけた。

 近所に友だちもいなかった。大阪・玉造の自宅近く、大阪女学院の塀にボールをぶつける「1人野球」で遊んだ。考えながら投げ、捕り、走っていたことだろう。

 隣の玉造公園も大切な練習場だった。阪神監督となり、記者から「この作戦はどこで考えたんですか?」と聞かれると「ブランコの上」と答え、驚かせた。少年時代、ブランコに乗りながら「どうすれば勝てるか」と考えていたそうだ。

 父は阪神の有力後援者で、村山実、藤本勝巳ら多くの選手と交流があった。小学生時代、玉造公園で三宅秀史がキャッチボールをしてくれた。「手が小さいし、指も短いな。これからは投手ではなく、内野手をやりなさい」と言われた。内野手を志す原点である。

 阪神入りしたとき、選んだ背番号は三宅がつけていた「16」だった。

 そんな三宅が逝ったのは一昨年の3月3日。この日が三回忌だった。

 岡田にとって3月3日は“考える”という原点を思い返す日だったかもしれない。 =敬称略=(編集委員)

続きを表示

2023年3月4日のニュース