「阿部ガッツ」と謝罪LINE オリックス入団前の物語から探る遅咲き男の成功ファクター

[ 2022年12月8日 11:00 ]

オリックス・阿部
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 逆境でこそ、プロの真価が問われるとするならば、オリックス阿部は、日本シリーズでプロ中のプロの姿を見せたのではないだろうか。第2戦の9回、ヤクルトの代打・内山壮に同点3ランを浴びた。つかみかけていた勝利を逃し、茫然自失の表情が画面に映し出された。このままガタっと崩れるのではないか。さらなる失点を予感させたが、阿部の心は折れていなかった。山田、村上、オスナを3人で抑えた。

 同点被弾を責めたファンはたくさんいただろう。しかし、プロであろうと、一般人であろうと、失敗やミスはある。大事なのは、その後。阿部は追いつかれた責任を負いながらの孤独なマウンドで、強打者を抑えた。その投球に、心を揺さぶられた。

 プロ入りの経緯も、年齢的に後がない状況からつかみ取った。20年ドラフト6位で、社会人の名門・日本生命から入団。球団史上最年長となる28歳で指名を受けた。それまでもチャンスがなかったわけではない。入社3年目の17年も候補に挙がった。しかし、無念の指名漏れ。以後2年間、プロのプの字も口にせず、黙々とチームのために戦った。結婚もした。しかし、ドラフトにかかる20年のシーズンが始まる前に、突如、誰もが諦めたと思っていた夢を口にした。

 「春季キャンプ地の沖縄で、阿部と話をする機会があって、そのときに“実はプロに行きたいです”と打ち明けられました。年齢も重ねていたし、本気か?と疑ったのを覚えています。エースの責任から言い出せずにいたみたいですが、ずっとプロへの思いは抱いていたようです」

 「オリックス阿部」誕生のターニングポイントを、懐かしそうに語ったのは、日本生命の竹間容祐ヘッドコーチだ。その年、有言実行で晴れてオリックスから指名を受けることになる右腕を、京滋大学リーグ・成美大(現福知山公立大)からスカウトした人物でもある。今やすっかり代名詞になった「阿部ガッツ」は、大学時代から近いものを披露していたようで、「打者に向かう姿勢、気迫がこもった投球が魅力だった」というマウンド姿に惚れ込み、日本生命に引っ張った。

 竹間さんには忘れられない思い出がある。20年9月の都市対抗野球大会近畿地区予選の1回戦。阿部が滅多打ちを食らって敗れた、その後の出来事だ。

 まさかの敗退で敗者復活戦へ回ることになり、当時、分析担当だった竹間さんは、次の対戦相手の試合を撮影する必要に迫られた。しかし、心中は分析どころではなかった。偵察の日に、母が他界した。心で泣きながらチームに告げずに仕事に専念し、1日遅れで、亡き母の元へ駆けつけた。

 後日、その事実を知った阿部から「自分がふがいないばかりに、本当に申し訳ありませんでした」と始まる長いLINE(ライン)が届いた。

 「(帰郷が遅れたのは)もちろん、阿部のせいではないですけど、普段はこういうことを言うヤツじゃないですし、思いをしっかりと伝える選手もなかなかいないので、うれしかったですね。人の気持ちを理解して、さらにそれを伝えようと行動に移せる。そんな人間だからこそ、チームの大黒柱でいられたと思う。相手の気持ちやチームの方向性が理解できるからこそ、成長できていると思います」

 感謝や謝罪の言葉を、照れやプライドに邪魔されて伝えきれないことは誰だってある。だが、リーダーシップに優れ、うやむやを嫌う性分だと伝わる阿部は、黙って過ごすことができなかったのだろう。勝ち気だけど、仲間思い。竹間さんが語るエピソードから、今、オリックス投手陣の中心的存在になっている理由が、容易に想像できた。同時に、派手なガッツポーズは独善的なパフォーマンスではなく、ストレートな人柄が表れた振る舞いだと、理解できた。

 シーズン前の故障に泣いた新人の昨季から一転、今季は44試合に登板して1勝3セーブ、22ホールドの好成績を収めた。リーグ2連覇と日本一に貢献し、7日の契約更改では3170万円の大幅増をつかみ、年俸4000万円(金額は推定)でサインした。遅咲きの30歳の旬はまだ先。「阿部ガッツ」を、これからも見続けたい。(倉世古 洋平)

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2022年12月8日のニュース