江川卓さんが「炎上」とした“沢村賞事件”の真相を語る 「こういうことがしゃべれるようになるとは」

[ 2022年4月20日 16:39 ]

江川卓氏
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 野球評論家の江川卓氏(66)が19日に更新した自身のYouTubeチャンネル「江川卓のたかされ」で、1981年当時、物議をかもした「沢村賞選考」への思いを語る場面があった。

 沢村賞はプロ野球史上初の無安打無得点試合を達成した伝説の大投手、沢村栄治(巨人)を記念し、1リーグ時代の1947年に制定。シーズンで最も優れた先発完投型の投手に贈られる賞で、2リーグ分立の1950年からはセ・リーグの所属投手だけが選考対象、1989年から両リーグに広げられた。1981年当時、選考基準は20勝以上、勝ちと負けの差が10以上、防御率2点台以下、奪三振率、優勝への貢献度などで、江川氏は20勝(6敗)、防御率2・29、221奪三振、20完投(7完封)で、当時、巨人の2大エースとして活躍した西本聖氏の18勝(12敗)、防御率2・58、126奪三振、14完投(3完封)を上回っていた。しかし、沢村賞は西本氏で、投球回数が西本氏が上で、チームが独走態勢に入るまでの成績でも西本氏が上回っていたことなどが評価された。

 「いいよね、沢村賞って。こういうことがしゃべれるようになるとは思わなかった」と穏やかな表情で語り始めた江川氏。「入団の時の色々なゴタゴタがあったので、みんなが江川卓に入れたくないと思っていた。どれくらい思っていたかは分からないけど」と笑わせた後、沢村賞選考発表の記者会見の様子も明かし「“沢村賞の記者会見ですから来てください”と言われて、僕もそう思っていたんですよ、全部(投手の項目で)1位だから、選ばれるんだろうなと思っていた」と椅子に座りながら、選出された際のコメントも考え用意していたという。ところが、結果発表は西本氏に。「えっと思った。何で?と思った。その時はパッと帰った。僕じゃないんだから」とその場をすぐに去ったという。

 沢村賞の発表当時は「江川、沢村賞の人格に値しない」との報道もあったという。そしてその1週間後に、今度はMVPの発表があった時には「また来てくださいと言われたんですけど、もう行かないと行ったんですよ。もう信用できませんと、都内でゴルフをやっていた」と明かしたが、ゴルフ後にMVP選出の会見を3時間ほど遅れて行ったという。すると今度は「遅刻するとは何事だ」と報道されたこと明かし「火に油を注ぐという言葉があるじゃないですか。今でいう炎上ですよ。そこから立ち直るのに約40年かかりました」と笑い話で締めくくった。

 沢村賞については、選考過程を含めて疑問の声も挙がり、当時は記者投票だったものが、翌82年から沢村賞選考委員が決定する形に変わった。江川氏は「西本は沢村さんの賞に値する。今年だけ特別に2人になりましたと言えばいいのにと思っていた。西本がもらう資格がないと1回も思ったことがない。西本がもらえるなら、江川卓に与えてもいいよねと思っていた」と振り返った。

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2022年4月20日のニュース