日の丸を背負って戦う意味と重圧 金メダルを勝ち取った「経験」はきっと優勝争いでも生きてくる

[ 2021年9月8日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神0ー12ヤクルト ( 2021年9月7日    甲子園 )

<神・ヤ>侍ジャパン・稲葉監督(中央)と談笑する阪神・青柳(左)と岩崎(撮影・後藤 大輝)
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 【畑野理之 理論】ヤクルト戦前、侍ジャパンの稲葉篤紀監督が甲子園球場を訪れ、東京五輪で金メダルを獲得した青柳晃洋や梅野隆太郎、岩崎優がかけ寄り笑顔であいさつしていた。決勝戦翌日8月8日の優勝会見以来、約1カ月ぶりの再会。稲葉監督が談笑の一端を明かしてくれた。

 梅野には「まず感謝の気持ちを、ありがとうと伝えました」。先発登板日にもかかわらず来てくれた青柳には「今日は会えないと思っていたけど、うれしかった」と目尻を下げた。岩崎とは「お母さんが僕のファンらしくてサインを書いたんですけど、きょう“母が喜んでいました”と報告されました」と笑った。

 岩崎は米国との決勝戦で1―0の8回無死一塁で救援して3番からの中軸を抑えるなど3試合で計2回を無失点と、期待通りの働きをみせた。しかし慣れない中継ぎ2試合で計1回2/3を5失点の青柳、1試合しか出場しなかった梅野には、12球団から選手を預かる代表監督として、申し訳なさそうにしていた。

 「重圧の中で戦った経験は、チームに帰っても言葉ではなかなか伝わらないが、侍ジャパンは行動、言動、プレーで模範でなくてはならない、という話はさせてもらっています。チームでは、背中で引っ張っていく存在であってほしいです」

 ヤクルトの山田哲人、村上宗隆を含めた優勝争いをする両軍の5選手に向けたエールには、稲葉監督の人柄がにじみ出ていた。この試合は青柳―梅野のバッテリーが村上に3ランを打たれて敗れたが、世界一となった日本の野球界を、彼らがもっともっと、盛り上げていってほしいのが願いなのだろう。

 4位に終わった13年前の08年北京五輪に矢野燿大も出場した。阿部慎之助、里崎智也に次ぐ3番手捕手のポジションながら、星野仙一監督の野球の理解者として、ブルペンも預かる40歳シーズンの最年長として選出された。準決勝の韓国戦にスタメンマスクをかぶり、同点の8回に李承(火ヘンに華)(イスンヨプ)に決勝2ラン被弾。岩瀬仁紀のシュートは矢野の構えたミットの通り内角低めに来たが「なんで高めに構えなかったんやろう」と悔やんだ。

 それでも、金メダルの可能性が消滅した1球から多くの事を学んだ。日の丸を背負わせてもらったことにも感謝している。「緊張して試合前夜に寝られなかったのは初めて。試合後の夜も悔しくて寝られなかった。この経験を残りの人生に生かさないといけない」。指導者としての今も、その経験は役立っている。

 青柳と梅野はプレーでは思うような成績を残せなかったが、チームが頂点に立つということを知ったはず。試合中盤にそろってベンチに下げたが、次戦にどんな姿を見せてくれるのかを矢野監督は期待している。
 =敬称略=
 (専門委員)

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2021年9月8日のニュース