牛島氏悼む「感謝しかない」、トレード時に名古屋駅まで見送り

[ 2018年1月7日 05:30 ]

星野仙一氏死去

1986年12月26日、牛島(左)を名古屋駅の新幹線ホームに見送りに来た星野監督
Photo By スポニチ

 忘れもしない、86年の暮れだった。中日のリリーフ投手だった牛島和彦氏(スポニチ本紙評論家)は、落合博満らとの4対1のトレードでロッテ移籍が決まった。記者会見のために上京する日。「新幹線の名古屋駅のホームまで、星野さんが見送りに来てくれたんです」。牛島氏が「落合さんの出迎えですか?」と冗談を言うと「バカモン!」と返されたという。

 星野氏は監督就任直後。「(トレードの)返事をする前に、監督として先輩としていろいろと話をしてくれた。それで納得できた」。寒さの染みる新幹線のホームで感じた温かさ。牛島氏は「怖いというより、本当に“燃える男”。一方で優しくて面倒見が良かった。感謝の思いしかない」と死を悼んだ。大胆な血の入れ替えといえるトレード。中日は87年が2位で、同年オフにも大型トレードを行い翌88年に優勝した。

 星野氏の中日監督時代に正捕手に成長させてもらった中村武志氏(韓国・KIAコーチ)は「現実だと思えない。だから、全く涙が出てこなくて…」。罵声を浴び、鉄拳制裁は日常茶飯事。「間違いなく自分が一番怒られた。でも感謝しかない。プロに入って全てをささげてついていった。親以上の存在だった」と振り返った。

 99年、星野氏にとって監督2度目の優勝。中村氏は127試合に出場し、野口茂樹とともに最優秀バッテリー賞に輝いた。

続きを表示

2018年1月7日のニュース