マー 沖縄自主トレ中、突然の別れ「胴上げできたことは大切な思い出」

[ 2018年1月7日 08:35 ]

星野仙一氏死去

2013年、日本一を決めて固い握手をかわす星野仙一氏(左)と田中
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 突然の別れにヤンキース・田中も色を失った。沖縄県で自主トレを始めている右腕が悲しみの言葉を並べた。

 「あまりに突然のことで信じられません。楽天イーグルスで日本一になり、星野監督を胴上げできたことは、僕の野球人生の大切な思い出です」

 2013年。24勝0敗1S、防御率1・27と圧巻の投球で星野氏の生涯唯一の日本シリーズ優勝へ導いた。リーグ優勝を決めた9月26日の西武戦は9回に登板し、球団創設9年目にして初優勝の雄叫び。巨人との日本シリーズでは第6戦に160球完投しながら、翌日の第7戦で9回に連投。東日本大震災から復興へ走り続けてきた東北の悲願を成就させた。

 11年就任の指揮官からは当初から一人前のエースと認められ、半ば放任のように投手コーチと本人に調整を任された。尊重されたからこそ、勝負どころではチームの象徴としてマウンドを託された。星野氏は事あるごとに「あの年は将大(田中)の年だ」と口にした。

 昨年11月28日の野球殿堂入りを祝う会で再会。「リーグ優勝の時も、CS、日本シリーズの時も最後の場面で投げさせていただいて、本当に感謝しかありません」とこうべを垂れた。「(第7戦の)試合前はベンチから外すつもりだった。でもコーチが“投げたいと言っている”というから入れた」と回顧する星野氏と、当時を懐かしんだばかり。これが最後の別れとなった。

 「メジャーでプレーすることを応援してくださいましたし、感謝の気持ちでいっぱいです。心よりご冥福をお祈りいたします」

 星野氏に「若者が挑戦したいと言ったらさせてやりたい」と背を押され、ヤンキースのエースへ上り詰めた。世界一への戦いはまだ道半ば。気迫あふれる投球スタイルは恩師を思わせる。託された思いを背負い田中は投げ続ける。

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2018年1月7日のニュース