金本監督“関西の父”に「これからも見守って」、Vで恩返しを

[ 2018年1月7日 05:30 ]

星野仙一氏死去

星野氏との思いでを語る金本監督
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 阪神・金本知憲監督(49)は6日、星野仙一氏の死去に伴い、私用の予定を変更し急きょ、西宮市内の球団事務所で会見を開いた。こぼれる涙を隠そうとしたのか、ひたすらに前だけを見つめていた。恩師の突然すぎる死に対し、悲しみをこらえて言葉を振りしぼった。

 「ウソであってほしいと。そう思いながら夜中に何回も目が覚めました。まだ本当に受け入れられないです」

 5日夜遅くに死去のうわさを聞き、携帯を握りしめたまま夜を過ごした。最後に会ったのは昨年12月1日の星野氏の殿堂入りを祝うパーティー。「(最後の会話は)わずかな時間でしたが(二人っきりで)。しっかりブレずに自分の思うように頑張って。絶対に阪神は強くなるから辛抱してやれよ、と言ってもらった」。あれから、わずか1カ月あまり。病を隠して送られた激励が最後のメッセージとなった。

 02年オフに広島からフリーエージェント宣言した際も、最後は星野氏の情熱と執念に負けて阪神入りを決断した。「一番欲しい選手だった」と最大の恋人であったことを公言され、金本監督も「阪神・金本」の生みの親と星野氏を表現した。

 プロでは自らの進路を決断するターニングポイントで必ず背中を押された。「引退するときも、監督に就任するときも、ずっと…。何か一言をかけてくれたり、背中を押してくれたり、そういうことを本当にまめにしてくれていました」。阪神から監督要請を受けていた際にも電話越しに「絶対に引き受けろ」と一方的に言われた。監督就任後も、他方面で金本阪神を応援する発言を聞き、昨年12月のパーティーでも約1000人の前で「新しい阪神をつくってくれ。そして、あと2年で結果を出せ!」と監督にしか分からない難しさを理解して、公に周囲に“猶予期間”を認めてもらった。「関西の父親代わりのような存在でした。感謝という言葉しかない」。

 05年以来、13年ぶりのリーグ制覇に挑む今季も、もちろん星野イズムで臨む。「(監督の立場として)時間はかかっても自分のイズムを浸透させていく信念を持たないと。やっぱり星野さんの影響はすごく大きい。戦う気持ちだとか、なにくそという気持ち。(選手には)そういう気持ちを持って戦ってほしい。良いとこ取りというか忘れないように。03年は星野さんの野球で勝った。少しでも良いところは生かして、常に胸の中に思いながら戦っていきたい」。

 くしくも、今季のチームスローガンである「執念」は、打倒巨人に執念を燃やした闘将の原点でもあるはず。金本監督の脳裏に浮かぶのはタテジマ姿の背番号77。「見守っていってほしいなとは思いますね」。“遺言”を胸に、その大きな背中を今季も追いかける。(山本 浩之)

 ▼阪神・坂井信也オーナー タイガースに新しい風を吹き込み、常勝チームの礎を築いていただいたことに大変感謝しています。野球界の発展のためにご尽力いただきたかったのに、ただただ残念でなりません。

 ▼広澤克実氏(明大出身で阪神OB、スポニチ本紙評論家)大学の後輩ということもあり、常に気にかけていただいた。楽天の監督時代もあいさつに行くと応接室に通され「俺の後輩なんだ」といろんな人に紹介していただいた。親身になって気遣ってくれた。優しく、人情深い方だった。

 ▼阪神・片岡ヘッド兼打撃コーチ 野球の厳しさを教えていただきましたし、僕の指導にも生きている。まさに闘将。白か黒か、良いか悪いか、はっきりされている。勝つことに対する執念は凄かった。

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