山本昌氏「星野さんいなければ今日の私ない」、米留学が転機に

[ 2018年1月7日 05:30 ]

星野仙一氏死去

星野氏との思い出を語る(左から)山本昌、岩瀬、山井
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 中日OBの山本昌氏は「星野さんが監督でなければ今日の私はない」と目を伏せた。伸び悩んでいた5年目の88年、星野氏から米国留学に送り出されスクリューボールを習得。通算219勝、50歳まで投げた。

 歴代最多404セーブの岩瀬は1年目の99年に星野氏の下でリーグ優勝。開幕戦では1死も取れず降板したが「“あれは俺のミス”とかばってくれた。その後、すぐ投げるチャンスを頂きがむしゃらに投げ、結果がついてきた」と回顧した。

 ▼中日・白井文吾オーナー 現役時代の闘志あふれるピッチングに歓声を上げ、監督としての手腕に称賛を贈った一人として悲嘆に暮れています。球界を代表する野球人となった星野君は名古屋の宝です。

 ▼中日・森監督 私がドラゴンズの監督になってからも、お会いするたびに「中日を頼むぞ」と声を掛けていただいた。先日の野球殿堂入りパーティーで話をさせていただいたのが最後の会話となってしまった。

 ▼山田久志氏(星野監督の下で01年まで投手コーチ、02年から監督を務める)99年に星野さんから涙をためながら「俺は中日を強くしたいんや」と投手コーチに誘われた時のことは今でも忘れられません。

 ▼元中日・立浪和義氏 私のプロ野球人生は、星野さんにドラフトでくじを引いてもらって始まった。私が指導者としてユニホームを着ることを楽しみにしておられたので、その姿を見せられなかったのが残念。

 ▼元中日・川上憲伸氏(明大の後輩)プロに入って初めての監督ですし、自分にとっては恩人。プロとして一人前にしてもらった監督さんです。

 ▼中日・荒木 ドラフト指名していただいたのも2000安打達成の花束をいただいたのも星野さんで、節目、節目で大変お世話になった。とにかく寂しい気持ちでいっぱいです。

 ▼巨人・井端内野守備走塁コーチ(中日時代に星野監督の下でプレー)非常に厳しい半面、それ以上の温かさ、優しさを感じさせる方でした。「元気でやっとるか」という声をもう聞けないのかと思うと寂しいです。

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2018年1月7日のニュース