高野連「No」で…常葉学園菊川・森下監督 退任表明撤回&謝罪

[ 2016年7月29日 05:30 ]

撤回会見で謝罪し、頭を下げる常葉学園菊川の(左から)森下監督、土屋校長、黒澤部長

 静岡大会優勝の常葉学園菊川で28日、森下知幸監督(55)が退任を電撃発表した後に撤回する騒動があった。

 8月から県内ライバル校の御殿場西の監督に就くことが内定。甲子園では指揮を執らない考えだった。午後5時すぎから同校で記者会見を行い、「大変なことをして選手たちにも迷惑をかけてしまった。頭を下げて一緒に頑張ろうと言います」と陳謝した。

 発端は午前9時からのミーティング。3年ぶりの優勝を決めた決勝から一夜明け、部員を集めて突然、甲子園出発前の31日付で退任すると表明した。8月から監督に高橋利和副部長(30)が就くと明かして「(甲子園で)高橋監督の下、暴れてきてほしい」と述べた。

 ノーバントのフルスイング野球で07年センバツ優勝を達成した指揮官が去る――。動揺し泣き崩れる選手もいた。決勝で先頭打者本塁打を打った栗原は「恩返しは甲子園での優勝」と宣言。今井主将は「新生・菊川の野球を全国で示したい」と目頭を押さえた。

 だが事態は急転した。学校側は静岡県高野連を通じて日本高野連に相談。午後に「それは認められない」との回答があった。県高野連の木村政彦理事長は「明文化されてはいないが、道義上良くない。予選と本戦は一連の大会で選手やご父母のことを考えると“とてもお受けできない”という回答をいただいた」と教育的配慮による指導があったことを説明した。

 森下監督は退任の意向を6月中旬に土屋義人校長に伝えていた。理由は家族の「体調面」。県西部の菊川市の寮で部員と共に生活し、県東部の沼津市の自宅を10年以上も離れている。学校側の慰留にも意志は固かった。

 前日の胴上げを「複雑な思いだった」と振り返った同監督。甲子園で指揮を執ることは、報道などで既に部員に伝わった。騒動を経て、聖地での戦いが注目される。

 ▼高橋利和副部長(後任監督に指名され、森下監督の野球を継承する考え示す)フルスイングはつぶさない。選手もそれをやりたくて来ている。

 ▼土屋義人校長(会見に同席)本来なら喜びの真っただ中にいるはずの選手、地域の皆さまにもご心配をおかけし、深くおわび申し上げます。

 ◆森下 知幸(もりした・ともゆき)1961年(昭36)3月21日、静岡県生まれの55歳。浜松商では主将として、78年春のセンバツで優勝。80年から同校でコーチを務め、89年に日大三島の監督として夏の甲子園出場を果たした。02年から常葉学園菊川のコーチとなり、06年に監督就任。07年センバツで全国制覇を達成した。「攻撃野球」が信条。

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