5年半ぶりに復帰した由規 求められるのはスピードではなく復活勝利

[ 2016年7月23日 09:20 ]

ヤクルトの由規

 勝てなくてもいい。スピードを出さなくてもいい。そんな思いで見ていた。かつて日本人投手最速を誇ったヤクルトの由規が、9日の中日戦(神宮)で復帰登板を果たした。5年半ぶり。6回途中6失点で敗戦投手となったが、無事に投げ終えただけで十分だった。

 宮城県仙台市出身。2011年3月11日の東日本大震災では親戚や、仙台育英時代にバッテリーを組んだ1年先輩の斎藤泉さんが亡くなっている。同年に復興支援として仙台で行われた球宴。由規は左脇腹を痛めて離脱していたが、ぶっつけ本番で投げた。「東北に対する思いは凄く強い。どうしても出たい、投げたいと思った」。郷土愛。責任感の強さも感じた。

 無理がたたった。後半戦に入ると、右肩を痛めた。11年9月3日の巨人戦(神宮)を最後に、1軍マウンドから遠ざかることになる。全身をムチのように使った躍動感あふれる投球フォームは見られなくなった。

 忘れられない試合がある。10年6月13日、仙台での楽天との交流戦。1学年上の田中将大(現ヤンキース)に初めて投げ勝った試合だ。由規は初回、先頭への初球から直球を投げ続けた。3回まで完全。直球だけで抑えた。4回先頭の聖沢に中前打を打たれるまで、何と39球連続である。最速は155キロだった。試合後、真っ先に質問をぶつけると、「打たれるまで直球を投げようと思った」と言うから驚いた。最大の武器である直球を磨くために、捕手の相川と決めた大胆な投球。「中学でも高校でもこんなに直球を続けたことはない」と笑っていた。憧れの田中との投げ合いで、力もみなぎっていた。

 田中に勝った自信。直球への自信も深め、同年8月26日の横浜戦(神宮)で自己最速を3キロ更新する161キロをマークした。日本ハム・大谷に破られるまでの日本人投手最速。マーク・クルーン(元巨人)が持つ当時の日本最速162キロを超えるのは、時間の問題だと思われていた。もちろん、野球ファンは日本最速更新を期待するし、マスコミからも球速に関する質問に集中してしまう。それでも由規は嫌な顔を少しも見せずに質問に答えていた。マイペースだが、純粋な性格。周囲の期待に応えようとする。

 スピードを追い求め、1メートル79と決して大きくはない体に負担を掛けた。5年半ぶりに復帰した今、スピードへのこだわりは薄れただろう。2度目のマウンドは24日の中日戦(ナゴヤドーム)。復活勝利を期待したい。(飯塚 荒太)

続きを表示

2016年7月23日のニュース