自称「凡人」レスラー日下尚が金メダル「夢を見ているようです」日本選手団パリ節目の30個目メダル!

[ 2024年8月8日 03:19 ]

パリ五輪第13日 レスリング ( 2024年8月7日    シャンドマルス・アリーナ )

グレコローマン77キロ級、セルフィ―に納まる金メダルを獲得した日下(左から2人目)(AP)
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 男子グレコローマンスタイル77キロ級の日下尚(23=三恵海運)が7日、決勝でデメウ・ジャドラエフ(カザフスタン)を5―2で下し、初五輪で金メダルに輝いた。60キロ級を制した文田健一郎(28=ミキハウス)に続く日本グレコ勢の快挙。1968年メキシコシティー大会の宗村宗二のライト級(70キロ)を超えて、日本では最重量クラスでの金メダル獲得となった。日下の金で今大会の日本選手団の獲得メダルが30に到達(金12、銀6、同12)。

 初五輪初戦から2戦連続テクニカルスペリオリティー勝ち。準決勝でも欧州V3王者で22年に敗れている難敵を撃破し「(目標は金メダルだから)うれしくないと言いたいところなんですけど、正直、めちゃくちゃうれしいです」と笑顔を見せていた日下が、決勝でも自身の持てる全ての力を出し切った。

 前半は相手の日下の攻撃を封じる作戦が奏功し、2ポイントを先行される展開。だが、第2ピリオド開始早々に圧力を強めた日下が相手を持ち上げ投げ技に。最初は2ポイントだったが、その後に4ポイントに訂正され2点リード。さらに1ポイントを追加し最後は相手の反撃を押し切り5―2で勝利を決めた。スタンドに向かって「よっしゃーっ!」と雄叫びを上げ、日の丸を掲げウイニングラン。最後は美しいバック宙で会場を沸かした。

 「夢を見ているようです。最高に楽しい楽しい6分間でした。人生が変わりました」

 自称「凡人」レスラーは、「人生を変えるために五輪で金メダルを目指す」との決意でパリへ乗り込んだ。3歳で始めたレスリングだが、当時は体も小さく、なかなか芽は出なかった。そんな中で小1から中3まで毎週末通った相撲道場で、現在のレスリングスタイルを築いていく。しこ、すり足で下半身と体幹を鍛え、相手を差して場外際へ追い込む。豪快な投げ技がだいご味のグレコローマンスタイルで、ともすれば面白くないと揶揄されがちな戦術でも、凡人がのし上がるためには必要な技術と戦術だった。

 東京五輪の同級で銅メダルを獲得した屋比久翔平は日体大の先輩。コロナ下だった3年前の五輪は会場には入れなかったが、直前まで練習パートナーを務め、日本人が不利とされるグレコの中量階級で活躍する過程を支えた。パリは、自分が出る――。そう決意し、「ずっと後ろで背中を見ていた。超えたいと思っていた選手」との国内代表争いを制した。昨年の世界選手権で3位に入って五輪出場権を獲得。先輩のためにも、銀メダル止まりで終わるわけにはいかなかった。

 今大会に4人が出場する「チーム四国」の発起人であり最年長選手。首都圏に比べて決して恵まれているとは言えない環境で、1学年下の曽我部、清岡、桜井とは小さな頃から合同練習や試合を通じて交流し、絆を深めてきた。パリ本番でも最初に出番が回り、見事な勝ちっぷりでチームをけん引。試合前日には必ず地元名産の讃岐うどんをすすり、「コシを付ける」と本気とも冗談とも取れる行動でパワーチャージに成功した日下。まばゆいまでに輝くメダルを手にし、凡人は超人へと変ぼうを遂げた。

 ◇日下 尚(くさか・なお)2000年(平12)11月28日生まれ、香川県出身の23歳。高松北高、日体大を経て、23年4月から三恵海運所属。3歳の時に高松クラブで開始。小中学生時代は目立った成績を残せなかったが、グレコローマンスタイルに転向した高校時代から結果を残し始め、高3で国体などで優勝。日体大1年だった19年に全日本選抜選手権、全日本選手権で非五輪階級の72キロ級を制覇。昨年の世界選手権で3位に入りパリ五輪代表に内定。家族は両親と弟2人、妹1人。

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