女子バスケをパリ五輪に導いた恩塚監督の異色の経歴「ワクワクは最強」

[ 2024年2月12日 00:55 ]

日本代表の恩塚監督(AP)
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 バスケットボール女子日本代表を3大会連続の五輪出場に導いた恩塚亨監督(44)は“ほほ笑みの指揮官”とも称される。試合中に声を荒らげることはなく、21年東京五輪で銀メダルに導いた前任者のトム・ホーバス監督(57=現男子日本代表監督)とは対照的。「ワクワクは最強」をキーワードに選手をその気にさせるコーチングが信条だ。

 異色の経歴の持ち主だ。学生時代は無名選手。筑波大卒業後は渋谷幕張中学・高校(千葉市)の体育教師となり、女子バスケ部の顧問を務めた。平凡な体育教師で人生を終えることを想像していた時、NBAにパイプを持つ銀行員と知り合い「自分の人生は自分でつくるもの」と言われて心が動いた。自費で米国と日本を行き来して、本場のバスケを研究。早大大学院にも通い、アナリストになるための勉強に励んだ。

 関連校の東京医療保健大が新設されるタイミングで大学側に企画書を提出し、猛烈に売り込んで女子バスケ部を設立。創部11年でインカレ優勝に導き5連覇を達成した。大学の監督と平行して、日本協会にも自らを売り込み、U―21女子日本代表のビデオコーディネーターに就任。当初は自費で海外の大会に帯同した。試合映像の編集・分析力が評価され、07年に女子日本代表のアナリストに就任。17年からは女子日本代表のアシスタントコーチとしてホーバス前監督を支えた。

 東京五輪後に監督に昇格。役割分担が明確だったホーバス監督のスタイルを進化させるため、原理原則を提示した上で選手にコート内で考えてプレーすることを求めた。就任直後の21年9月にアジア杯を制したが、22年W杯は1次リーグ1勝4敗と惨敗。作秋にはNBAニックス、キングスの練習を視察してコーチングを学んだ。目標はパリ五輪での金メダル。指揮官にあくなき向上心がある限り、まだまだチームは強くなる。

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