元大関・朝潮の長岡末弘さん 67歳で死去 小腸がんで闘病 春先から体調が…

[ 2023年11月4日 04:45 ]

1985年3月、大相撲春場所で初優勝し、賜杯を手に笑顔の朝潮
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 「大ちゃん」の愛称で親しまれた大相撲の元大関・朝潮の長岡末弘(ながおか・すえひろ)さんが死去したことが3日、日本相撲協会関係者の話で分かった。67歳だった。葬儀・告別式は未定。近大から鳴り物入りで角界入りし、陽気な性格と豪快な突き押しで活躍。大横綱・北の湖戦で強さを発揮した。引退後は名門高砂部屋の師匠として横綱・朝青龍、大関・朝乃山らを育てたが、2年前に新型コロナウイルス対策ガイドライン違反で退職していた。

 数年前から車椅子姿で公の場に現れていた長岡さんだが、関係者によると、小腸がんで闘病しており、春先から体調が優れなかったという。

 力士として全盛期の体重は180キロ前後と丸くて大きく、陽気なキャラクターと相まって愛称の「大ちゃん」がよく似合った。由来は小学校の同級生に同姓の男の子がおり「その子は体が小さく、俺はめちゃくちゃでかかった。大きい方の長岡。それで大ちゃんというこっちゃ」という。

 近大で学生横綱とアマ横綱を2年連続で獲得するなど鳴り物入りで高砂部屋入り。1978年春場所に幕下付け出しでデビューした。わずか4場所のスピード出世で入幕し、入幕2場所目に部屋の由緒あるしこ名「朝汐(後に朝潮)太郎」を名乗った。厳格だった師匠の元横綱朝潮の下、ハワイ出身で巨漢の高見山や突き、押しの富士桜の胸に何度もぶつかり、弟弟子の小錦とも競い合い、力をつけていった。

 関脇だった83年初場所では北の湖、若乃花、千代の富士の3横綱を総なめ。14勝1敗同士の優勝決定戦で琴風に敗れたが、同年春場所後に大関昇進。85年春場所は13勝2敗で優勝した。三賞は14度受賞。額が割れて頻繁に流血するほどの激しいぶちかましからの突き押しを得意とし、特に横綱・北の湖にはめっぽう強く13勝(不戦勝含む)7敗と勝ち越した。

 大関を36場所務めたが、初優勝後は2桁勝利に届かない場所が増え89年春場所で引退した。90年3月に東京都墨田区に若松部屋を継承。2002年2月に高砂部屋と合併し7代目高砂を襲名した。弟子の朝青龍が03年初場所後に横綱に昇進。2000年2月から08年1月まで、4期8年にわたり日本相撲協会理事を務める一方で、朝青龍が度重なる不祥事を起こし、師匠としての責任を問われ理事を辞職した。

 その後、大関・朝乃山を育て20年11月に定年。弟子の朝赤龍(現高砂親方)に部屋を託し、再雇用制度を利用して相撲協会の参与として相撲協会に残った。だが、21年5月に朝乃山が新型コロナウイルスの感染防止ガイドライン違反が発覚。自らも度重なる違反を犯したため、同年6月に退職した。

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