気を緩めなかった男 山中亮平が本隊にもたらすデスゾーンの掟

[ 2023年9月20日 09:10 ]

山中亮平
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 山中と書いて、「さんちゅう」と読む。小鳥さえずり渓流せせらぐ山中もあれば、地獄の針山のように、峻厳な山中もある。

 エベレスト初登頂を目指すジェイミー・ジョセフ率いる日本隊。その山はもちろん、後者の部類である。一瞬の気の緩みが死を招くデスゾーンにあって、17日のイングランド戦はまさに、ほんのわずかなソフトモーメントが敗戦への引き金になった。

 1点差に詰め寄った直後の後半16分、相手のノックオン気味のキャッチミスにヘディングが重なり、選手は一瞬、動きを止めた。その間にローズがゆっくりとボールを獲得し、トライ。ビデオ判定の結果、5点は認められた。日本のテレビ中継でも、実況者が「ノックオンです」と言ったほど、見ていたほとんどの人が落球を確信した。だから責める気はない。しかし命取りになったのも、また事実だった。

 そのシーンで思い出した試合がある。14年11月8日、エディー・ジョーンズが率いていた日本代表と、マオリ・オールブラックスとの一戦だ。18―15と3点リードで迎えた残り3分。自陣深くに蹴り込まれたボールを、逆側のウイングだった山田章仁が必死に追い掛けて確保も、2人掛かりでライン外に放り出された。

 相手ボールのラインアウトで再開――。誰もがそう思っていたが、黒衣の選手が今度は3人掛かりで山田からボールを強奪し、クイックで35メートル先の味方に投げ込んだ。日本の選手は全員が右半分のサイドに固まっていたが、相手バックスは無人のサイドに5人が広がり、オーバーラップされている状態だった。逆転トライを奪われ、手中に仕掛けていた金星を逃した。ほんの一瞬の油断が招いた敗戦だった。

 80分間、一瞬の気の緩みもなく試合に集中する。簡単なようで簡単ではないから、厄介であり、直す特効薬もない。そしておそらく、勝ちゲームでも気が緩む瞬間は、1試合に数回はあるはずだ。しかし大ケガにつながなければ、忘却のかなたへ消える。だからこそ直すのは困難を極める。

 幸い、足を滑らせた日本隊だが、命は取り留めた。しばし深呼吸し、準備を整えて、再び頂点を目指す。ただし次に足を滑らせれば、もはや登頂を断念せざるを得ないだろう。そんな緊張感が増すパーティーに、ベースキャンプで待機していた山中亮平が追加招集された。

 6月から40人程度と人数が絞られた状態で合宿に参加し、自他共に2度目のW杯はほぼ間違いないと思われた中、落選した時の気持ちはいかばかりだったか。逆境や苦難の時こそ人は試されるというが、自暴自棄にはならずとも、ふさぎ込み、しばらくは立ち上がれない人間がほとんではないだろうか。

 約1カ月ぶりにチームに合流するため、ニースの空港に降り立った山中は、「コンディションはいい」と自信を持って言い切ったという。バックアップメンバーを英国の選抜チーム、バーバリアンズに送り込んで実戦感覚を保たせるウルトラCをひねり出した首脳陣のアイデアはさることながら、十中八九は可能性がない追加招集に備えてきたのは、山中本人の強い強い意志があってこそだ。

 人呼んで、ミスター追加招集。過去10年間の協会発信メールに「山中 追加招集」でふるいに掛けると、数十件、引っかかってくる。当初から呼ばれずとも腐らず、心と体のコンディションを保ち、準備不足で試合のパフォーマンスが悪く、酷評されても、またはい上がる。

 18年秋、追加招集ながらオールブラックス戦の先発を任された際のジョセフHCの評価は、「経験不足が表れた。だが、かなりのプレッシャーの中、よくやってくれた」だった。翌19年も、当初は候補に入っていない状況からW杯候補に食い込み、8強入りに貢献した。何度落ちてもはい上がるから、首脳陣も頼りにする。冒頭の異名は不名誉な揶揄などではなく、不屈の闘志を証明する金看板なのだ。

 山中と書いて、「やまなか」と読む。取り残されたベースキャンプで、地道に高地順化していた男は、一瞬の気の緩みが命取りになることを、本隊に背中で示してくれるであろう。(記者コラム・阿部 令)

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