【豊昇龍・強さの秘密】レスリングから転部も1年で部内一番

[ 2023年7月24日 05:29 ]

相撲部入部当初、まだ体重60キロ台だった豊昇龍。右は2学年上の現幕下・雷鵬(提供写真)
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 夏場所後の霧島に次いでモンゴルから2場所連続で新大関が誕生する。三役昇進後負け越しなしだった豊昇龍が名古屋場所で初優勝。叔父の元横綱・朝青龍の遺伝子を受け継ぐ24歳の強さの秘密を関係者の証言などから3回にわたって分析する。

 豊昇龍の相撲人生は、意外なスタートだった。最初のきっかけは、千葉・柏日体高(現・日体大柏)相撲部で当時監督を務めていた永井明慶氏によるスカウト。モンゴルでその才能を見いだされて来日。ここまでは外国人留学生のよくある話だが、すぐに相撲をやる気にはならなかったという。同じ飛行機で来日したのは、のちの十両・欧勝馬と三段目・朝白龍。朝白龍だけ相撲部に入り、豊昇龍は欧勝馬とともにレスリング部に入った。

 気持ちが変わったのはそのわずか1カ月後。国技館で初めて観戦した大相撲に魅了され、相撲部への転部を決意した。当時の体重は60キロ台。高校相撲選手としてはかなり軽量だが、筋骨隆々の体をしており初心者とは思えない投げ技の強さを持っていた。同校相撲部で1年先輩だった、現・女子相撲軽量級世界一の奥富夕夏(25)は「ジャミン(朝白龍)には勝てたけどビャンバー(豊昇龍)には最初から勝てなかった」と当時を振り返る。レギュラー陣の先輩に負けても、悔しがって何度も立ち向かう負けん気の強さも持ち合わせていたという。

 強くなるスピードも抜群。相撲を始めてわずか1カ月でレギュラー陣と互角に渡り合えるようになり、1年後には早くも部内で一番強くなった。そして3年生の夏、全国高校総体準優勝の実績を残した。初めから持っていた才能と、驚くほどの成長の早さ。24歳で大関の座をつかみ取った青年の原点がここにあった。 

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