斉藤仁氏の次男・立 衝撃のオール一本勝ちで柔道GS制覇 パリ五輪超級の星に名乗り

[ 2021年11月9日 05:30 ]

柔道グランドスラム(GS)バクー大会最終日 ( 2021年11月7日    アゼルバイジャン・バクー )

男子100キロ超級決勝で攻める斉藤立(奥)(国際柔道連盟提供)
Photo By 共同

 男女計5階級が行われ、男子100キロ超級で斉藤立(たつる、19=国士舘大)が4試合オール一本勝ちで、国際柔道連盟(IJF)主催のワールドツアー初出場初優勝を果たした。斉藤は五輪2大会連続金メダルで日本代表監督、強化委員長などを歴任し、15年に死去した斉藤仁氏(享年54)の次男。仁氏の教え子である鈴木桂治監督(41)に就任後の国際大会初の最重量級Vをプレゼントし、24年パリ五輪代表争いに名乗りを上げた。

 亡き父が18年にIJF殿堂入りを果たした思い出のバクーで、忘れ形見がスケールの大きな柔道を披露した。柔道を始めた小1から叩き込まれた体落としや内股を繰り出し、4試合オール一本勝ちの鮮烈なツアーデビュー。出場選手わずか10人でトップ選手不在とはいえ、パリ五輪で「必ず金メダルを獲る」と最重量級の復活を最大の目標に掲げた鈴木監督に、同級初のタイトルをもたらした。

 ジュニア時代から期待された大器だが、1メートル93、168キロの体格ゆえに故障も多かった。高校でシニアデビュー後は、腰や肘の故障もあり結果を残せなかった。当時から重量級コーチとして目を掛けていた鈴木監督も大会前には「重量級特有の甘えがある。あまちゃん」と苦言を呈していた。この大会の3週間前にはパリへ送り出し、海外勢との厳しい稽古を課してきた。

 その武者修行の成果か、以前よりも締まった体つきで技の切れも抜群だった。準々決勝で18年世界選手権銀メダルのコカウリ(アゼルバイジャン)に鮮やかな内股で一本勝ち。タジキスタン選手との決勝も開始45秒で技ありを奪うと、3分すぎに支え釣り込み足で一本。IJF公式ウェブサイトは「驚くべき動きの機敏さを見せた」と称えた。

 五輪最重量級の日本勢は88年ソウルを仁氏が制した後、04年アテネの鈴木監督、08年北京の石井慧と、金メダルを獲得したのはいずれも同氏の教え子。“最後の愛弟子”立が、再び歴史を動かす。

 【斉藤 立(さいとう・たつる)】

 ☆生まれ 2002年(平14)3月8日生まれの19歳。大阪府出身。

 ☆サイズ 1メートル93、168キロ。足のサイズは34センチ。柔道場を逆立ちしながら移動できるバランス感覚は天性のもの。

 ☆家族 父・故仁氏、母・三恵子さん、兄・一郎さん。

 ☆柔道歴 小1から始め、小6で全国少年大会制覇。大阪・上宮中では3年時に全中90キロ超級で優勝。17年4月に国士舘高に入学。高校タイトルを総なめにし、19年には柔道日本一を決める体重無差別の全日本選手権に史上最年少の17歳で出場。20年4月に国士舘大入学。

 ☆得意技 仁氏直伝の体落としは、ライバルだった全日本柔道連盟の山下泰裕会長も「お父さんにそっくり」と評す。左組み。

 ☆遺言 15年1月20日に肝内胆管がんで亡くなる直前の仁氏を見舞ったが、「稽古、行け」と言われて道場に。最後の言葉になったとされる。

 ▽パリ五輪の男子100キロ超級代表争い 五輪2大会連続代表の原沢久喜(百五銀行)、今年6月の世界選手権優勝の影浦心(日本中央競馬会)が実績面でリード。4月の選抜体重別を制した佐藤和哉(日本製鉄)、昨年の全日本選手権準優勝の太田彪雅(旭化成)、18年世界選手権代表の小川雄勢(パーク24)、斉藤らが追う。代表争いは来年から本格化。8月の世界選手権(タシュケント)、9月のアジア大会(中国・杭州)の代表入りが重要となる。

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