追悼連載~「コービー激動の41年」その60 1試合100得点に至った異常なプロセス

[ 2020年4月16日 08:10 ]

1試合100得点のNBA記録を保持しているチェンバレン(AP)
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 1962年3月2日に「チョコレートの町」でもあるペンシルベニア州ハーシーで行われたウォリアーズ対ニックス戦。ウォリアーズのセンターで身長が216センチあったウィルト・チェンバレン(1999年に63歳で死去)がコービー・ブライアントの81得点をはるかに超える100得点を記録したとき、クオーター別の得点は23→18→28→31だった。試合はウォリアーズが今では考えられない169―147というスコアで勝つのだが、この試合で大記録を打ち立てたヒーローはこう語っている。

 「100得点なんてあまり意味がないと思っていた。だから恥ずかしかった。80得点に達したあとはゲームを自分がぶっ壊している感じだった。いつもやらないことばかりの連続だった」。

 恥ずかしかった理由はわかるような気がする。なにしろニックスはチェンバレンにシュートをさせないため、ボールを保持したウォリアーズの他の選手にファウルゲームを仕掛けていた。すると当時のウォリアーズのフランク・マグワイア監督は、NBAの偉大なるセンターに自分でボールを運ぶように指示。またその他の選手に対しては、ボールを持ったらすぐにゴール下に浮き球のような高いループパスを出すように命令した。

 チェンバレンのフィールドゴール(FG)試投数は63回(成功36回)に達し、先発ガード、ガイ・ロジャースのチェンバレンに対するアシストは20回を数えている。序盤は自然な流れによる得点だったが、終盤はファンが「ウィルトにボールを渡せ!」と騒ぎ始め、主役の意思を確認しないまま、チームが組織的に“100点ゲーム”の演出に走ったフシがある。つまりこれは「作られた記録」だった。

 試合前に勝ちまくったトランプとゲームマシンの出来事が証明するように、確かにチェンバレンはついていた。ニックスは先発センターのフィル・ジョードンが故障で欠場。代役のダラール・インホフは身長が208センチあったものの反則が多い選手(通算801試合で退場68回)で、この日も前半で6反則を犯してベンチに下がった。つまり後半はチェンバレンが攻守両面で“制空権”を完全に手中に収めていた。

 運の良さは苦手だったフリースローにも表れている。このシーズン、NBA歴代1位の平均50・4点で得点王にもなったが、フリースロー成功率は生涯通算で51・1%。2本に1本外すあたりはコービー・ブライアントとともにレイカーズで活躍したシャキール・オニールと似ている。1961年シーズンは自己ベストだったとはいえ61・3%でしかない。それがこの試合に限って別人のような出来栄えで、9本連続成功を含め32本中28本を直径45センチの穴の中に通した。81得点のブライアントは3点シュートを7本決めているが、チェンバレンの時代にはそんな飛び道具はない。それだけにフリースローの成功数の多さは貴重だった。

 第4Qの残り1分27秒(1分29秒説もあり)、チェンバレンの得点はついに「98」に達した。場内アナだったデーブ・ジンコフ氏は、チェンバレンの得点がそれまでの自身の最多記録(78=当時のNBA記録)を更新してから興奮の度合いを強めていく。試合会場となったペンシルベニア州のハーシー・アリーナには個人の得点状況を示す電光掲示板がなかったので、チェンバレンは自分の得点をなかなか把握できなかったが、さすがに最後はジンコフ氏の実況(絶叫?)と総立ちになったファンの姿で「リーチ」がかかったことを感じ取っていた。

 ただし直後に巡ってきたオフェンスで彼はシュートを外している。残り46秒。「100得点は無理か?」。シーズン終盤の消化試合ということもあって、テレビ中継がなかったウォリアーズ対ニックスの一戦。確かな場面を記憶しているのは選手、審判、スタッフと4124人の観客しかいなかったが、新聞記事などの資料では第4クオーターの残り5分あたりから、にわかに描写が詳しくなる。

 インターネットなどなかったアナログの時代。ブライアントの81得点で再び脚光を浴びることになるチェンバレンの大記録の達成の瞬間がなぜ文字として書き留められているのか?それは今では考えられない方法が採用されたからだった。(敬称略・続く)

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には一昨年まで8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは2013年東京マラソンの4時間16分。昨年の北九州マラソンは4時間47分で完走。

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