「心」で勝ち取った稀勢の里の奇跡の優勝

[ 2017年4月6日 09:00 ]

春場所千秋楽の表彰式で、内閣総理大臣杯授与で痛みに顔をゆがめる稀勢の里
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 【佐藤博之のもう一丁】大相撲春場所は新横綱の稀勢の里の劇的な優勝で幕を閉じた。13日目の日馬富士との横綱対決で初黒星を喫し、その際に左上腕部を負傷。それでも土俵に上がり続け、千秋楽の本割、決定戦で照ノ富士を連破して2場所連続優勝。「鬼の形相」で当時の首相に「感動した」と言わしめた2001年夏場所の貴乃花の優勝を思い起こさずにはいられない、歴史的出来事となった。

 13日目の取組が終わった時点で、記者は14日目の出場は無理だと思った。支度部屋に戻ってきても折りたたんだ左腕を動かせず、左手のテーピングを外した際に腕が少し動くと「ウォー」という声を上げた。稀勢の里のこんなにも悲痛な表情を見たのは初めてだった。師匠の田子ノ浦親方(元幕内・隆の鶴)は「今日は様子を見て、明日相談して決めたい」と話したが、劇的に回復するとは思えなかった。だが、14日目の朝に決断したのは「強行出場」だった。

 左腕はどこまで回復したのか。それを確かめるため、稀勢の里が場所に向かうために大阪市港区の田子ノ浦部屋宿舎部屋から出てくるまで、約5時間待った。着物を着ているため患部の状態は分からなかったが、歩くときに左腕は振っていた。場所入り後の横綱土俵入りでは患部をテーピングで固定しており、かしわ手を強く打てなかった。だが、左腕はしっかりと動かせていた。ここで確信した。どういう結果になろうと、稀勢の里は千秋楽まで土俵に上がり続けるのだろうと。

 初場所の初優勝、その後の横綱昇進の際に「一人ではここまで来られなかった」という言葉を何度か口にしていた。支えてくれる人たちのためにも結果を出したい。稀勢の里がそういう気持ちを秘めている男だということは、稀勢の里の取材歴が1年足らずでも分かる。ケガを悪化させるリスクがあったとしても、優先させるべきものがあれば挑んでいく。気持ちだけで勝てるほど相撲は甘くないが、気持ちがなければ勝てないのも相撲だ。ほとんどやったことのない右からの小手投げを決めた決定戦は「心技体」の「心」で勝ち取ったと言っても過言ではないだろう。表彰式を終えた後の支度部屋での記念撮影では、賜杯を抱く左手が震えていた。「体」はぎりぎりの状態だった。

 出場に前向きだった春巡業はひとまず休場となったが、回復次第では途中参加もあるという。春場所の初日からの12連勝は「体」と「技」による部分が大きかったはず。左からの攻めは稀勢の里の生命線とも言えるだけに、今は「休む勇気」に切り替えて、しっかり治すことに集中してもらいたい。(専門委員)

 ◆佐藤 博之(さとう・ひろゆき)1967年、秋田県大曲市(現大仙市)生まれ。千葉大卒。相撲、格闘技、サッカー、ゴルフなどを担当。スポーツの取材・生観戦だけでなく、休日は演劇や音楽などのライブを見に行くことを楽しみにしている。

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