【オヤジのぴりから調】王さんの歴史的ノーワインドアップ

[ 2015年8月11日 05:30 ]

 高校野球100年とうたいながら、第97回全国高校野球選手権大会。数にギャップがある理由は言うまでもない。太平洋戦争中で大会を開催できなかった年があったからである。

 今年の大会は70年前、広島に原爆が投下された8月6日に開幕。第1回優勝校の京都二中の流れをくむ鳥羽高校・梅谷成悟主将の選手宣誓が見事だった。

 「1915年8月、第1回全国中等学校野球選手権大会が始まりました。それから100年間、高校野球は日本の歴史とともに歩んできました。この100年、日本は激動と困難を乗り越えて、今日の平和を成し遂げました。(中略)次の100年を担う者として、8月6日の意味を深く胸に刻み甲子園で躍動することを誓います」

 第1試合開始直前、ヘリコプターが投下したボールを手にしたのは57年センバツの優勝投手、早実OBの王貞治さん(現ソフトバンク球団会長)だった。プロ野球経験者が甲子園大会で始球式を務めるのは史上初。王さんは58年前と同じノーワインドアップ投法で見事外角低めにストライクを決め、歴史的な大役を全うした。

 「恥かかなくて良かったなというのが本音」と王さん。「甲子園だけは特別。野球の原点。勝った負けたではなく純粋に野球を楽しんで人生の思い出を築き上げる場所。150、200回と、皆さんにつないでいってほしいという気持ちが強くなった」と続けた。

 甲子園は終戦後、米軍に接収され、大会は終戦1年後の46年に西宮球場で再開。47年にはグラウンドの接収が解除された甲子園に戻った。58年は40回記念大会として米国施政下にあった沖縄の代表も出場。95年1月には阪神大震災に見舞われたが、戦後は一年も途切れることもなく歴史を積み重ねてきた。(編集委員 永瀬 郷太郎)

 高校野球と同時に、後発のプロ野球も58年の長嶋茂雄の巨人入団、59年の天覧試合を契機に一般的な支持を得るようになっていった。テレビの普及にも後押しされ、野球は国民的スポーツになっていくのである。

 終戦から10年後の55年に生まれた私は何の憂いもなく野球を楽しませてもらってきた。もうすぐ還暦を迎える。「次の100年」を担う野球好きもそうできる日本であり続けてほしい。私にできるのは選挙で1票を投じることしかないけど。

続きを表示

2015年8月11日のニュース