ヤマハ発33年目悲願V…清宮監督感涙、どん底から4年で再建

[ 2015年3月1日 05:30 ]

<ヤマハ発動機・サントリー>初の日本一に輝きヤマハ発動機フィフティーンに胴上げされる清宮監督

ラグビー日本選手権決勝

(2月28日 秩父宮)
 清宮イズムでついに頂点に上り詰めた。決勝が行われ、ヤマハ発動機が15―3でサントリーを下し、創部33年で初優勝を飾った。早大とサントリーで現役と監督をそれぞれ務めた清宮克幸監督(47)にとっては、古巣を倒しての日本一となった。10年には本社の業績悪化で、プロ契約を廃止するなど活動規模を縮小。10年度には入れ替え戦に出場したチームを、就任4年目の名将が立て直しに成功した。

 目指してきた光景が、少しかすんで見えた。フィフティーンの手で3度宙に舞った清宮監督の目には光るものがあった。

 「ヤマハというチームに、私は勝つことを期待して監督を依頼された。かなりの部分で責任を果たせたと思う」。就任4季目の最終戦で初の日本一に導くと、地元磐田市からバス46台で駆けつけたファンらの祝福、歓声を耳に達成感に浸った。

 「苦しい時間帯も来ると思っていたが、選手が必死に体を張り続けてくれた。今季ベストゲーム」。かつて自身がプレーし、監督も務めた相手にヤマハスタイルを貫き通して公式戦での対戦5戦目で初勝利。カリスマ指揮官は誇らしげだった。

 前半7分、ラインアウトからの連続攻撃でCTBサウが右中間に先制トライ。3―10の同26分にはスクラムを起点に左展開からWTB中園が左隅に飛び込んだ。持ち味のFW戦を軸に2トライを挙げれば、後半10分からFB五郎丸をシンビンで欠いても集中力を切らさず、2戦連続被トライ0。清宮監督が築き上げてきたチームの強みが集大成の舞台で発揮された。

 09年秋に10年度からの「日本人プロ契約廃止」など活動見直しが発表された。数人の主力が移籍し、外国人以外は全てヤマハ発動機の社員となった10年度は選手が36人。ケガ人が出た春先は練習を14人で行ったこともあったという。その年のトップリーグ・サントリー戦は0―72の大敗。「スタンドからの“おまえらふざけんなよ”の声は今でも覚えています」とSO大田尾は思い起こす。九州電力との入れ替え戦を2点差で制し残留を果たすと、11年度に清宮監督が就任。レスリング練習や筋力をより効果的に使うウエートトレを導入し、トライアウトを経て入社のフッカー日野、WTB伊東らを鍛え上げ、頂点に導いた。

 「指導が分かりやすく選手によく声を掛けている。オーラもある」と柳弘之社長(60)も感慨深げ。来季の続投は内定しているが「再来年もやってほしい」と早くもラブコールを送った。

 「サントリーでの経験がベースになっている」。古巣への思いも口にした清宮監督は、常勝軍団づくりへの意欲も新たにした。

 ◆清宮 克幸(きよみや・かつゆき)1967年(昭42)7月17日、大阪市生まれの47歳。大阪・茨田高からラグビーを始め、早大2年時に日本選手権優勝、4年時は主将として大学日本一。サントリーでも中心選手としてプレーし、01年に現役引退。早大、サントリーの監督を歴任し、11年から現職。現役時のポジションはNo・8、フランカー。

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