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21冠目をもたらした鹿島と鬼木監督の巡り合わせ「やっと、クラブの一員になれた」

[ 2025年12月7日 10:00 ]

明治安田J1最終節   鹿島2ー1横浜M ( 2025年12月6日    メルスタ )

<鹿島・横浜F>優勝を果たし歓喜の鬼木監督(中央)ら鹿島イレブン(撮影・木村 揚輔)
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 鬼木達監督が就任1年目で鹿島をJ1優勝に導いた。川崎F時代に続く自身5度目、複数クラブでリーグ制覇した史上初の指揮官となった。「複数クラブということへの思いはない。ただ、自分は選手としては鹿島に貢献することはできなかった。そういう意味で言うと、やっと、このクラブの一員になれた」。輪の中心で歓喜に浸った。

 市船橋高時代に鬼木監督を指導した布啓一郎氏は「端的に言うとサッカー小僧。サッカー偏差値は高く、芯の強さがあった」と懐かしむ。当時は小柄なドリブラー。守備でのハードワークも惜しまない選手だった。高3になるとスカウトの注目を集める存在となり、鹿島関係者も「面白い選手だね」と熱視線を送った。

 Jリーグ元年の93年、鬼木監督は鹿島に入団した。ジーコがハットトリックを決めた名古屋との開幕戦を観客席から観戦し、「すごいチームに来た」と悟った。「これをやったら勝てるなんてものはないけれど、でもこれをやらなきゃ勝てないという、そういうものを鹿島で見てきた」。期限付き移籍した一年を除く99年までの通算6年間で、リーグ戦は27試合1得点。ケガもあり、レギュラーには定着できなかった。00年に川崎Fに完全移籍。選手として指導者として、川崎Fで長く情熱を注いだ。

 それでも、鹿島で過ごした日々が色あせることはなかった。「高校を卒業してここ(鹿島)に来ていなかったら、もしかしたら監督業もできていないかもしれない」。川崎F退団が決まった昨秋。「新しい鹿島を一緒につくっていきたい」と、中田浩二フットボールダイレクターから監督就任要請を受けた。「これだけタイトルを欲しているクラブはない。だからこそ(タイトルを)獲った時は、自分が想像できないような喜びが待っているんだろうなと」。何よりも鬼木監督自身が、鹿島でのタイトルを欲していた。

 監督1年目だった17年。最終節で鹿島を逆転し、川崎Fを初優勝に導いた。以降の8年間で7度のタイトルを獲得した。一方、鹿島は屈辱のV逸から8年連続で国内無冠。両者は対照的な歩みを重ねてきた。

 試合後、報道陣に囲まれた鈴木満フットボールアドバイザーの本音がこぼれた。「鬼木に奈落の底に突き落とされたのを、鬼木が救ってくれるなんて」。運命のような巡り合わせが、名門に21冠目をもたらした。(坂本 寛人)

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