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鹿島 鬼木改革で復権V! 「常に相手を圧倒する」理想を突き詰め9年ぶり9度目のリーグ制覇

[ 2025年12月7日 04:30 ]

明治安田J1最終節   鹿島2ー1横浜M ( 2025年12月6日 )

<鹿島・横浜F>優勝を果たし歓喜の鬼木監督(中央)ら鹿島イレブン(撮影・木村 揚輔)
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 明治安田J1リーグは最終節10試合が行われ、鹿島が横浜Mを2―1で下して勝ち点76とし、9年ぶりのリーグ優勝を果たした。史上最多を更新する9度目の制覇で、最終節までもつれた2位の柏に勝ち点1差で上回った。18年ACL(現ACLE)以来、通算21冠目となる主要タイトルの獲得。就任1年目で常勝軍団を復活へと導いた鬼木達監督(51)は、リーグV4度の川崎F時代に続き史上初の複数クラブでのJ1優勝監督となった。

 誰彼構わず、そばにいる人間と抱き合った。人の輪が次々と大きくなる。9年ぶりのJ1制覇に導いた鬼木監督はスタジアムに声を響かせた。「8年間の悔しさが一つになって、今日の勝利になった」。引き分け以下なら柏に逆転されていた最終戦で、集大成を飾るように前半から横浜Mを圧倒。3万7079人の大観衆とともに最高のフィナーレを迎えた。

 現役以来26年ぶりの古巣帰還。理想としたのは「常に相手を圧倒する」ことだった。1月7日の始動日。「止める、蹴る」の技術に特化したパス練習が再建の一歩目だった。黄金期を築いた川崎Fのエッセンスを注入した。

 ただ、現実は甘くなかった。2月15日。湘南との開幕戦でなすすべなく敗れた。「自分の勝利への執念が足りなかった」。18歳でジーコの薫陶を受けた指揮官は、自問自答して原点に立ち返った。

 3日後、ミーティングで覚悟を伝えた。18年から横浜Mを超攻撃型へと変革し、翌19年にJ1制覇に導いた名将ポステコグルー監督の2年間を引き合いに出して、言った。「今年一年でそれをやりたい」。選手の心を揺さぶる言葉で、理想と結果の二兎(にと)を追って再び走り始めた。

 FW鈴木が「100(%)のうち5(%)くらい」というほどチームは未完。2度も3連敗を味わい、伝統の勝負強さに焦点が当たる試合も少なくない。それでも「鹿島らしさという言葉に甘えたくはない」という指揮官の理想はブレなかった。毎試合後、鬼木監督は自ら映像を編集し、約10分ほどのプレー集にまとめる。主力も特別扱いせず、チームの基準を伝え続けた。「この順位(首位)にいても誰一人満足することなく、向上心を持ってやれている」。元日本代表のDF植田とMF三竿が居残りで「止める、蹴る」を繰り返す日常が、何よりの証だった。

 心血を注いで常勝軍団をよみがえらせた鬼木監督は言う。「選手としては鹿島に貢献することはできなかった。やっと、このクラブの一員になれた」。シャーレを掲げる勝負師の笑顔は、誰よりも輝いていた。(坂本 寛人)

 ◇鬼木 達(おにき・とおる)1974年(昭49)4月20日生まれ、千葉県船橋市出身の51歳。93年に市船橋高から鹿島に入団して計6年間プレー。00年に川崎Fに完全移籍。06年の引退後は川崎Fで指導者となり、監督就任1年目の17年にJ1初優勝。18年に連覇を達成し、20、21年も連覇した。天皇杯2回、ルヴァン杯1回を合わせて昨季までの8年間で7冠獲得。

 ▼ペナルティ・ワッキー 市船の先輩として鬼木達を誇りに思います。これからも全力で応援します。監督として変わらず、とにかくサッカーが大好きな人でいてくれたらそれだけでうれしい。仕事依頼も待ってます(笑い)。(市船橋高の2学年後輩の指揮官を祝福)

 ▽鹿島アントラーズ 1947年に住友金属工業蹴球同好会として創部。元ブラジル代表の名選手ジーコを招いて強化を進め、Jリーグ創設に参加。9度のJ1優勝、6度のルヴァン杯優勝は最多。天皇杯は5度制し、18年に初のACL制覇。アントラーは英語で「シカの枝角」。ホームタウンは茨城県鹿嶋市など5市。本拠地はメルカリスタジアム。

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