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歓喜の涙!鹿島 9年ぶり9度目V 通算21冠目!レオ・セアラ2発、就任1年目の鬼木監督は最多8冠目

[ 2025年12月6日 15:58 ]

明治安田J1リーグ最終第38節   鹿島2-1横浜M ( 2025年12月6日    メルカリスタジアム )

<鹿島・横浜F>優勝を果たし歓喜の鬼木監督(中央)ら鹿島イレブン(撮影・木村 揚輔)
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 J1最終節は各地で行われ、首位の鹿島がホームで横浜Mを2-1で下し、9年ぶり9度目のリーグ優勝を果たした。主要タイトル獲得は18年ACL以来、通算21冠目。就任1年目で古巣を頂点に導いた鬼木達監督(51)は単独最多8冠目、史上初めて複数クラブでのJ1優勝監督となった。

 試合終了のホイッスルが鳴ると、スタジアムは歓喜に包まれた。ピッチ上ではDF植田、FW鈴木、MF荒木、松村らが大粒の涙を流して喜んだ。

 前半20分、FWレオ・セアラが右サイドからのこぼれ球を右足で押し込み先制。主導権を握り、前半は横浜Mに1本もシュートを打たせなかった。

 後半12分、右サイドからのマイナス気味のクロスにゴール前中央でレオ・セアラが頭を合わせ、大きな追加点を奪った。試合終了間際に1点を返されたものの、1点差を守り切った。

 鬼木監督は26年ぶりの鹿島帰還だった。現役時代は計6年間プレー。18歳でジーコ氏から勝負へのこだわりを植え付けられた。「一番最初に鹿島でプロ生活を始めていなかったら、今の自分はない」。オファーを受けて血が騒いだ。「鹿島でタイトルを取りたいという思いが自分の中でも湧き上がってきた」。決断に時間はかからなかった。

 「常に相手を圧倒する」ことを掲げ、黄金期を築いた川崎F時代のエッセンスを持ち込んだ。だが、開幕節の湘南戦で0―1で敗れた。以降は理想と現実のバラランスを取りながら、我慢強く勝ち点を積み上げていった。日本代表に定着した守護神のGK早川友基が最後尾で支え、大型補強で獲得したFWレオ・セアラは前節終了時点で得点ランク首位の19得点と量産。主力だったDF安西幸輝、DF関川郁万らが長期離脱する苦難もチーム一丸で乗り越えた。

 最後のリーグ制覇は16年。翌17年は終盤に独走しながら大失速。現指揮官の鬼木監督が率いる川崎Fに最終節で逆転され、優勝を譲った。それ以降は国内タイトルには届かず、昨季までクラブワーストの6年連続無冠だった。当時在籍していたDF植田直通、MF三竿健斗、FW鈴木優磨の主力3人は、海外挑戦を経てクラブに復帰。苦すぎる経験を力に変え、9年ぶりの歓喜をもたらした。

 エースの鈴木は言う。「当時は鹿島のエンブレムを背負っていることによって、優勝できるんじゃないかという雰囲気がなんとなく流れていた。でもそうじゃなくて、目の前の1試合に全力を尽くすとか、その1試合にどれだけ捧げるかだと思う」。それこそが鬼木監督が求めた姿勢だった。

 2度の3連敗を喫したチームの優勝は初めて。負けない強さではなく、勝ちきる強さに目を向け続けたからこそ、鬼木アントラーズは前進を止めなかった。妥協なき指揮官に導かれ、常勝軍団の歴史に令和初のタイトルが加わった。

 ▽鹿島アントラーズ 1947年に住友金属工業蹴球同好会として創部。元ブラジル代表の名選手ジーコを招いて強化を進め、Jリーグ創設に参加。9度のJ1優勝、6度のルヴァン杯優勝は最多。天皇杯は5度制し、18年にはACL優勝を果たした。アントラーは英語で「シカの枝角」。ホームタウンは茨城県鹿嶋市など5市。本拠地はメルカリスタジアム。

 ◇鬼木 達(おにき・とおる)1974年(昭49)4月20日生まれ、千葉県船橋市出身の51歳。93年に市船橋高から鹿島に入団して計6年間プレー。00年に川崎Fに完全移籍した。06年の引退後は川崎Fで指導者となり、監督就任1年目の17年にJ1初優勝。18年に連覇を達成し、20、21年も連覇した。天皇杯2回、ルヴァン杯1回を合わせて昨季までの8年間で7冠を獲得。今季から古巣・鹿島を率い、6月14日の広島戦で監督として史上6人目のJ1通算300試合に到達した。

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