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【井原正巳 我が道17】最終予選は中東開催も自信 大きかった柱谷さんの復帰

[ 2025年7月18日 07:00 ]

コートジボワール戦で主将の柱谷さんが復帰した
Photo By スポニチ

 Jリーグの盛り上がり方は想像以上だった。満員の観客の前で試合ができて「これがプロリーグなんだ」と幸せを感じた。ただ、毎週水曜日と土曜日に試合が組まれ、延長戦もあって体力的にはきつかった。リカバリーやフィジカルの整え方など、どのチームも試行錯誤していて、あっという間に第1ステージ18試合が終わった。開幕前は「優勝争いは横浜マリノスとヴェルディ川崎の一騎打ち」といわれていたが、V川崎は2位で横浜Mは3位。両チームとも主力の選手の多くが日本代表に招集されてW杯1次予選を戦った疲労に加えてチームとしての練習時間が少なく、連係ができていなかったことが影響したと思う。

 第1ステージで優勝したのはジーコが加入した鹿島アントラーズで、これは驚きだった。ジーコイズムが浸透し、勢いに乗ってリーグ戦に臨んでいた。横浜Mが対戦した時も、強くてまとまりを感じた。カシマスタジアムも芝が長くて重く、やりにくく、日本国内で初めて「アウェー」を感じさせられた。

 過密日程の中、8月8日に結婚式を挙げた。結婚式場は何カ月も前に予約しなければならないことを考えると、確実に休みとなるのは試合翌日しかない。冬のオフ期間は何が起きるか分からないので、シーズン中の方が日程を決めやすかった。みんな考える事は一緒で、カズさん(三浦知良)も私の1週間前の8月1日に式を挙げていた。

 第2ステージは途中でリーグ戦が中断し、日本代表がW杯アジア最終予選を戦う日程だった。9月にスペイン遠征を行い、ベティスなどと3試合行ったが、3敗。主将のDF柱谷哲二さんが体調を崩し、DF都並敏史さんも足首の故障が治らず、主力2人を欠いたことが影響した。初めてプロリーグを戦い、心身共に疲労があり、なかなかコンディションが上がらなかった。しかも柱谷さんは守備だけでなく、オフト監督の考えも聞いた上で、選手の意見をまとめてチームが同じ方向を向くように全体を統率していた。ラモス瑠偉さんにも遠慮なく注文をするし、ラモスさんも一目置いていて、「テツさん(柱谷哲二)がいないとこんなにチームが変わるんだ」と改めて存在の大きさを感じた。都並さんの左サイドバックの穴も大きく、三浦泰年さんや江尻篤彦が試されていた。

 帰国後、国立競技場でコートジボワールと対戦した。アジアカップの優勝で、アジア・アフリカ選手権の出場権を獲得、壮行試合を兼ねて開催された。この試合で柱谷さんが復帰し、チームとして自信を取り戻した。いよいよW杯米国大会アジア最終予選だ。アジアの枠は2カ国。この時はホーム&アウェーではなく、1次予選6組の各1位6カ国が1カ所に集まって戦う集中開催(セントラル)方式だった。中2日や中3日で戦う過密日程。開催地がカタールのドーハで、暑さもあり、中東勢に地の利があったが、私はここまで戦った手応えから、「最終予選も十分に戦える」と自信があった。

 ◇井原 正巳(いはら・まさみ)1967年(昭42)9月18日生まれ、滋賀県出身の57歳。守山高から筑波大を経て横浜Mの前身の日産入り。磐田と浦和でもプレー。アジアの壁と言われ、大学2年生の時に日本代表入り、ドーハの悲劇とジョホールバルの歓喜を経験、98年W杯フランス大会に主将として出場。代表通算122試合。引退後は北京五輪代表コーチ、柏コーチ、福岡監督、柏監督を務めた。現在は解説者、6月にU―20Jリーグ選抜監督も務めた。7月から韓国2部・水原コーチ。

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