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【井原正巳 我が道2】特例で1年早く少年団入部 5年生で出場した全小がいい思い出

[ 2025年7月2日 07:00 ]

小5の全小に出場し、よみうりランドでプレー(左から4人目)
Photo By 提供写真

 貴生川(きぶかわ)小学校3年生の時に大きな転機が訪れた。貴生川少年団でサッカーをやっていた3歳上の次兄について行って、毎日のように練習を見学していたが、「そんなにサッカーがやりたいのなら」と、特別に入部を許された。本来は4年生からしか入団できないが、次兄がやっていたので、1年早く入れてもらえることになった。嫌で仕方がなかった柔道教室をやめ、思う存分ボールを蹴った。試合には出られないが、上級生と一緒に練習した。同じ学年のつもりでやっていたので、どんどんうまくなり、ますますサッカーが楽しくなった。ポジションはFWで、ゴールを決めた時や、相手をドリブルで抜くのが快感だった。

 私の家族は父が高校まで野球、母は高校までバスケットボールをやっていた。母は1メートル64ぐらいあり、当時の女性としては背が高かった。長兄は軟式テニスで高校総体に出場、次兄は1メートル87の長身で、高校生の時にケガでやめるまでサッカーをやっていた。父のすぐ下の弟と、4番目の弟もサッカー経験者。特に4番目の弟、私の叔父の正義さんは甲賀高校から関西学院大学へ進み、ユース代表にもなったほど。80歳の今でもO―70やO―80のサッカー大会に出場している。

 4年生になると、FWのレギュラーになった。5、6年生に交じっても遜色なくできた。当時は全日本少年大会(全小)が一番の目標の大会で、4年生の時は滋賀県大会のベスト4、5年生の時は滋賀県大会で優勝して、全小に出場した。新幹線でよみうりランドまで行ったが、車中で四日市中央工業(三重)の選手と乗り合わせた。城雄士監督や3年生の樋口士郎さん、1年生の樋口靖洋(やすひろ)さんの兄弟がいて、この年度の高校サッカー選手権で準優勝する強豪だ。樋口靖洋さんは後に日産で一緒になったが、この時もらったサインの寄せ書きは、長い間、私の部屋の壁に貼ってあった。

 大会では1次リーグで3勝2敗だったが、当時は決勝トーナメントに進出できるのは1位チームだけだったので、1次リーグで敗退した。その時対戦して勝った小名浜東スポーツ少年団(福島)には現日本サッカー協会技術委員長の影山雅永(まさなが)がいた。よみうりランドに行けたのはいい思い出だった。6年生の時は県大会ベスト4で全小には行けなかった。

 小学校には徒歩で通学していたが、授業が終わると一度帰宅してサッカー用具を持って自転車で学校に行って練習した。学校の近くの坂を走って上り、校庭の階段をジャンプしながら上るルーティンがあった。そういえば、自宅の近くに地区の公園があったが、父がどこからかサッカーゴールを買ってきて、置いてくれたのはうれしかった。練習がない時はそこでよくボールを蹴った。父は自分がやっていた野球をやれとは言わず、「やりたいことをやれ」と言ってくれた。私がサッカーをやることを応援してくれたことで今の私があった。

 ◇井原 正巳(いはら・まさみ)1967年(昭42)9月18日生まれ、滋賀県出身の57歳。守山高から筑波大を経て横浜Mの前身の日産入り。磐田と浦和でもプレー。アジアの壁と言われ、大学2年生の時に日本代表入り、ドーハの悲劇とジョホールバルの歓喜を経験、98年W杯フランス大会に主将として出場。代表通算122試合。引退後は北京五輪代表コーチ、柏コーチ、福岡監督、柏監督を務めた。現在は解説者、6月にU―20Jリーグ選抜監督も務めた。7月から韓国2部・水原コーチ。

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