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パリ世代“新星”内野貴史は努力の人 U21へ成り上がったDF、諦めなかったから「全てが変わった」

[ 2022年10月5日 04:30 ]

リハビリを乗り越え飛躍を誓う内野貴史(撮影・小海途 良幹)
Photo By スポニチ

 U―21日本代表のDF内野貴史(21=デュッセルドルフ)がこのほど、スポニチの取材に応じた。千葉の下部組織からトップチーム昇格ならず、単独でドイツに渡って4年。恵まれているとは言えない環境に身を置いて、必死にはい上がってきた若者にスポットライトを当てた。(古田土 恵介)

 内野は9月27日、ドイツ・デュッセルドルフで行われた日本―エクアドルの強化試合を現地でチームメートと一緒に観戦した。試合後、「パリ(五輪)に行きたいですね」とぽつりと語った。強い覚悟が口からあふれ出たようだった。A代表のプレーを見て、日の丸への思いは強まった。

 現在は左足首の前脛腓(けいひ)じん帯断裂で離脱しているが、快活さは消えていない。「同じポジションの選手のピッチ内外の立ち振る舞いを注視したり、サッカーだけに取り組んでいた時に見られないものを、負傷したことで見られています」。渡独してから、常に前向きな姿勢で壁を乗り越えてきた。

 4部アーヘンに所属していた20―21年シーズンのデュッセルドルフU―23戦。内野は心で泣きながらも、全力を尽くした。「今日は調子が良い」。集まった関係者にアピールする絶好の機会だったが、味方のセンターバックが10分ほどで負傷。サイドバックからポジションを変更を指示された。指揮官に泣きそうな顔で訴えたが、采配は覆らなかった。

 手応えはなかった。ただ、人生とは何が起こるか分からない。翌日、デュッセルドルフの関係者から連絡が届いた。君に興味がある、と。すぐにデュッセルドルフに向かった。「来季への話で、めちゃくちゃうれしかった」。時間をかけて話を詰めていくうちに、相手の本気度を感じ取った。「最初の登録はU―23だがトップチームとしてほしい」「もし来てくれるなら右サイドバックの補強はしない」。何よりも響いたのは、「移籍金を払う」という誠意だった。

 「4部のチームで移籍金が発生するなんてほぼないんです。その時は(アーヘンと)契約が1年残っていたんですけど、真剣にほしがっているんだという熱意を感じました」

 監督や強化部スタッフから口説かれるうちに、地道な努力が自身を日の当たる場所に導いたのだと気が付いた。「日本人には珍しいドイツ人のメンタリティを持っているとも言われました」。ピッチでは両チーム合わせて22人いるが、毎試合、自分が一番声を出していた。カテゴリーは関係ない。どの試合でも感情を露わにし、チームメートを鼓舞した。「でも、もうちょっとプレーについて触れてくれよ、と思いましたね」。内野は人懐こい笑顔をみせた。

 17歳でドイツに渡り、5部デューレンの下部組織に加入した。待っていたのは、日本では味わったことのない環境だった。ところどころ土が顔を出している広場の芝生での練習は日常茶飯事で、全員が揃うことなど滅多になかった。テニスコートの方がマシに思えるような赤土で試合が行われることもあった。スカウトなど足を運んでくれない。ピッチから見渡すと、チームメートの親がビールを飲みながら観戦していた。「誰が見てくれているんだろう」。投げ出したくなることもあった。そんな時、脳裏には「大学に4年間通わせるつもりで」と頼んだ両親が浮かんだ。

 自分の環境は自分で変えるしかない。ドイツ語はもちろん、簡単な英会話さえままならなかったが、内野は臆さなかった。集合場所が分からず、チームメートに連絡して「車で乗せていってくれ」と頼むこともあった。ピッチ内では「ライト!」「レフト!」と英単語で味方に指示を飛ばした。右も左も分からない土地で生きていくには声を出し続けるしかなかった。ここにいるんだ、と主張するかのように。

 がむしゃらに突き進むと、徐々に風景が変わっていった。今年3月にはスタジアムを埋め尽くすような大観衆の中、2部デュッセルドルフのトップチームでデビューを果たした。発煙筒から立ち上る煙と匂い。日本にいた頃に憧れていた環境が目の前に広がっていた。すぐに両親から連絡があった。プレーを見るのは日本にいた時以来だったという。

 「ちょっと心が痛くなったというか、そんな状態だったのに今まで支えてくれていたんだって。ドイツに行かせてもらって、自分のプレーを見せられないところから、TVで取り上げられるところにたどり着いた。親に一つ恩返しできたかな」

 次の日、同僚の日本代表MF田中碧との昼食後だった。電車に乗っているとスマホが鳴った。U―21日本代表の大岩剛監督だった。「3月のドバイ杯U―23に来てもらうことにした」。初めて代表ユニホームに袖を通すことが決まった。実感は驚くほどなかった。

 日本を飛び出してから約4年が経っていた。アーヘンのトップチームに昇格した際には、定位置争いのライバルが負傷して開幕スタメンを掴んだ。デュッセルドルフU―23との直接対決ではセンターバックも見事にこなし、声がかかった。デュッセルドルフではトップチームで14人もの新型コロナウイルスの陽性判定者が出ても試合中止にならず(15人で中止)同チームで試合に初出場した。そこからは、同U―23の練習に参加していない。

 もしかしたら「持っていた」のかもしれない。そう投げかけると、本人は「そうかもしれないですね」と言いつつも運だけではないことを強調した。途中で諦めなかったからこそ「全てが変わった」。周囲からは突如として現れた“超新星”のように見えるだろう。そんなことはない。一歩一歩、苦境にあっても絶えず足を踏み出し続けたからこそ、内野の今はある。“努力の人”はどこまで進んでいくのか。気鋭のサイドバックが浮かべるあどけない笑顔の先には、輝かしい未来がきっと待っているはずだ。

 ◇内野 貴史(うちの・たかし)2001年(平13)3月7日生まれ、千葉県松戸市出身の21歳。千葉の下部組織を経て、17歳で渡独。ドイツ5部デューレンの下部組織に入り、翌年に同4部アーヘンの下部組織に加入。20~21年にはトップチームで活躍した。翌シーズンからはデュッセルドルフU―23に活躍の場を移し、22年3月にトップチームで念願のデビューを果たす。1メートル77、64キロ。利き足は右。血液型はA。

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