鹿島の名スカウトが育んできた24年間の縁と選手

[ 2018年5月1日 13:57 ]

60歳の誕生日を迎えた鹿島の椎本スカウト担当部長
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 今年、鹿島アントラーズのとある新人選手のロッカーに、一枚の紙が貼られた。「整理整頓、いつもきれいに」。手書きの文字の脇には、判子が押されている。「椎本」と。

 鹿島の椎本邦一スカウト担当部長が、5月1日に60歳の誕生日を迎えた。

 大卒15人。高卒32人。「結局、縁だよな。赤い糸だよ」。下部組織からの昇格者を除いて、47人もの新人選手とクラブとの縁をつないできた。

 クラブで初めて、スカウトという仕事に就いたのは1994年の12月だった。駒大サッカー部から、選手として住友金属工業に加入。30歳で現役を引退した後は、指導者の道へと進んだ。それまで存在しなかったスカウトというセクションの立ち上げに伴い、クラブから声を掛けられたのが、鹿島ユースの監督を務めていた94年のタイミング。「とにかく試合を見て、顔を売らなきゃいけない」。数多ある名門高校、名門大学の監督たちの元に通うことから始まった。

 学校の指導者が選手に与える影響は何より大きい。クラブの窓口となる自身を信頼してもらえなければ、選手に話を通してもらうことも、選手の本当の性格や姿を伝えてもらうこともできない。「会社でいうと、セールス、営業。かっこいい言い方で言えば、ドラマじゃないけど、デカ」。地道に足で稼ぐ作業。なかなか顔を覚えてもらえず、名刺を2、3枚渡した先生もいた。「映像なんか見ない。信じるのは自分の目よ」。土日のたびに日本各地の試合会場を回った。選手権などの大会が始まれば、期間中はほとんど家を空けた。多い時は年間300試合も観た。スカウトを始める2カ月前の10月に生まれた息子を、自宅でたまに風呂に入れると泣かれた。今でも妻が繰り返し話す、忙しさを物語るエピソードだ。



 初めてスカウトした選手が加入したのは96年。FW平瀬智行、DF池内友彦、そして高校在学中から屈指の注目を集めていたFW柳沢敦の3人だった。出足は順調だったが、翌年の97年加入に向けてスカウトした選手には「フラれて」しまう。結果、新人の加入はゼロ。「落ち込んだよね。辞めようかなと思った」。そんな時でも、強化部長の鈴木満氏から掛けられた声は「しょうがないな」の一言だった。何かを押しつけることなく、クラブは職務に自由を与えてくれた。翌年の98年には、クラブの黄金世代、MF中田浩二、MF小笠原満男、GK曽ケ端準、MF本山雅志、MF山口武士、DF中村祥朗の6人を加入に導いた。



 スカウトする上で、大切にしてきたことがある。選手と話す機会があるときは決して、甘い言葉を掛けないこと。「ポジションを空けて待っている、とは言わない。厳しい世界だよ、ということは絶対に言う」。すぐに試合に出られることを誘い文句としているクラブもある一方で、あえてプロの世界のつらい現実を明かす。その上で、例えば高校生にならこう言う。「2、3年後、今(クラブに)いる選手とポジション争いできる能力があるから、声を掛けている」。

 FW大迫勇也に、MF柴崎岳。DF昌子源に、DF植田直通。FW興梠慎三に、DF内田篤人。日本代表の半数を形成できるのではないかと思えるほど、プロに導いた名選手は多い。「うちに来た選手には成功してもらいたい。試合に出て、活躍するとうれしいもん。(本人たちには)厳しいことしか言わないけどね」。けれど、華やかな結果を残す選手がいる一方で、試合に出られずに加入から3年ほどで移籍していく選手もいる。そのときは必ず、自ら両親と学校の先生に連絡を入れる。責任を持って、説明する。始めてから長い年月が経ったある時、プロを目指す選手の父母の間で「鹿島のスカウトから声を掛けられたら、大丈夫だよ」という声がささやかれていることを知った。自らを通じて、鹿島が選手を育てるクラブとして信用されていることが、何よりうれしかった。



 60歳の節目を迎えた今季。加入に導いた新人のFW山口一真は、阪南大時代、少々“やんちゃ”で知られていた。能力の高さは他クラブの強化担当者からも太鼓判を押されていたが、実際にオファーを出したクラブは鹿島だけだった。その時も、信じたのは自身の目だった。「サッカーを大学4年間、一生懸命やってるんよ。根っから悪いやつなら、やらないって。好きだからやれる。実際に話してみると、ちゃんと人の目を見て自分のサッカー観を語る。そういうやつって可愛い。どうにかしてやりたい。チャンスを与えてやりたいじゃん、っていうのがあった」。加入した山口は、見ている側が汗をかきそうなほど、いつもとにかく全力で練習している。私生活で抜けているところがあるのはご愛敬。ロッカーに張り紙をしたことを明かした時、椎本氏は「学校の先生みたいだろ」と子を愛おしむように言って笑った。



 選手を「獲る」という言葉は嫌い。選手には「選んでもらう」のだから。そして「選んでもらえる」のは、「クラブに魅力があるから」なのだから。「クラブとして25年間(目指すサッカーの)軸がぶれていないから、スカウトがやりやすい」とも感謝する。

 「これからは第2の青春で、1年1年頑張っていこうかな、と。この仕事、嫌いじゃないからね。だからこそ、ここまでできたと思うんだけど」。“引退”はまだ先。周りから「しいさん」と親しまれる名スカウトのもとで、これからも縁と選手は育まれる。(波多野 詩菜)

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