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帰ってきた“ボンバー”日テレ荒川「ケガが選手寿命延ばしてくれた」

[ 2015年9月29日 11:00 ]

9月6日の仙台戦で復帰後初出場し、サポーターにあいさつする日テレ・荒川(中央)

 “ボンバー”が緑のユニホームをまとい、ピッチに帰ってきた。6日のなでしこリーグ・日テレ―仙台戦。今季5年ぶりに古巣・日テレに復帰した元なでしこジャパンFW荒川恵理子(35)が、後半37分から復帰後初出場。復帰後初ゴールこそならなかったものの「ベレーザのユニホームを着てピッチに立てたことは、凄くうれしく思う」と実感を込めて語った。

 AS埼玉から移籍した今季は、右膝痛や左ふくらはぎ肉離れなど度重なるケガに悩まされてきた。それだけに、仙台戦前夜は「またベレーザのユニホームを着て出られると思っただけでワクワク、ドキドキして眠れなかった」と明かす。中1で日テレの下部組織・メニーナに入団し、のちに読売ベレーザ(現日テレ)に昇格した荒川にとって、緑のユニホームは「特別」。気持ちが高ぶるのは当然だった。

 かつては人気・実力ともに、なでしこの顔だった。だが、11年のアルガルベ杯(ポルトガル)から帰国した直後の3月に左すね7カ所の疲労骨折が判明。復帰まで7カ月を要した。同年7月のW杯カナダ大会、なでしこジャパンは初優勝。もしあの時ケガをしていなければ、自身も歴史に名を刻んでいたかもしれない。それでも、今では「あれから体のケアを見直すようになった。ケガしたおかげで(選手の)寿命を延ばしてもらったのかな」と前向きに話す。13~14年に所属したAS埼玉で、松田岳夫監督(現INAC神戸監督)に指導を受けたこともプラスになったようで「昔はあまりサッカーを分かっていなかったけど、今はうまく体を使えるようになっている」という。

 「昔は、30歳まで現役はできないと思っていた」と打ち明けるが、今やチーム最年長の35歳。それでも「自分自身は、ベテランとは思っていない」と言い切る。“まだやれる”という確かな自信があるのだろう。レギュラーシリーズで逆転優勝を飾った日テレは、年間優勝を懸けて10月10日開幕のエキサイティングシリーズに臨む。レギュラーシリーズでベンチ入り3試合にとどまった背番号19は、得点感覚を研ぎ澄ませながら出番を待つ。(原田 真奈子)

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2015年9月29日のニュース