鈴木康弘元調教師、菜七子と重なる女性騎手JRA初勝利挙げた牧原の笑顔

[ 2019年10月3日 08:30 ]

調教師時代に牧原と話す鈴木氏
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 菜七子の重賞初制覇を記念して、スポニチ本紙「G1馬体診断」でおなじみの鈴木康弘元調教師(75)が特別寄稿した。調教師時代に、牧原(現姓増沢)由貴子に管理馬を託すなど女性騎手を間近で見てきた鈴木氏の目に、菜七子はどう映っているのか。

 圧倒的人気と、前走を数段上回るコパノキッキングの気配。鞍上に押し寄せるプレッシャーをはねのけた時、栄冠が待っていました。最大の関門だった発馬をクリア。内枠を生かすためにも先手は絶対に譲らない。藤田菜七子のそんな気迫に後ずさりするように競り懸けたクルセイズスピリツが2番手に下げたところで勝負は半ば決しました。

 カクテルライトに照らされたウイニングランの馬上には笑顔の花が咲いています。その若い女性らしい笑みは23年前、JRA初勝利を挙げた牧原(現姓・増沢)由貴子(現調教助手)の笑顔と重なって見えます。96年3月、JRA史上初の女性騎手として細江純子、田村真来と共にデビューした牧原への餞(はなむけ)にアラビアンナイトという私の管理馬を用意したところ、鮮やかに逃げ切った。その年9勝、2年目も11勝。藤田よりも数段パワフルに追える男勝りの騎手でした。

 だが、当時の競馬サークルは女性を受け入れる環境ではなかった。「女に騎手は無理だ」、「女性に何かあったらどうするんだ」。非難がましい声ばかりが私の耳に飛び込んできました。「牧原を騎乗させたい」と馬主に伝えると、「女性を乗せるんですか?」と驚いた顔を向けてきた。その後、見習いの減量特典がなくなり、騎乗馬はさらに減っていきました。もし、牧原が20年遅く生まれていれば…。「女性の活躍推進」が国の最重要施策となり、JRAも今年3月から女性騎手の新たな減量特典を導入して後押ししています。隔世の感を禁じ得ません。

 男性が腕っぷしの強さで馬を御すなら、女性は柔らかさで御す。女性ならではのソフトで繊細な当たりこそが藤田の持ち味。イソップ寓話(ぐうわ)「北風と太陽」の太陽のような騎乗です。北風のように力ずくではなく、馬を安心させて自発的に走らせる。私が英国に厩舎留学した70年初頭、頭を上げて力んでしまう馬は女性攻馬手の担当でした。彼女が乗ると頭を上げずに柔らかく走る。その女性が休みの時は別の女性が指名されていた。日本のように「女じゃ危ないから駄目だ」ではなく、「女だからこそ、なだめられる」。藤田も女性騎手ならではの持ち味を示したのです。

 デビュー4年目の22歳。技術面では課題だらけです。バテた馬を追う時にバランスが崩れてしまう。ステッキの持ち替えもまだ十全ではない。それでも、鞍ハマリ(騎乗姿勢)はだいぶ良くなってきた。体幹トレーニングを続けていると聞きました。その成果でしょう。田村正光元騎手ら昔のジョッキーは体幹を鍛えるため、競馬場の芝コースで柔道の受け身を続けたものです。

 女性減量特典(藤田は現在▲3キロ)が設けられてから、騎乗馬の質も見違えるほど上がってきた。技量がアップしているのに、重量がダウンしたのだから有力馬の依頼が増えて当然。現役中は永久に2キロ減が保証されるわけで、将来リーディングも獲れるほど大きなアドバンテージです。「私にはこの2キロは不要なのでお返しします」と言えるほどの気概で騎手生活を続ければ、女性リーディングジョッキー誕生の日が来るかもしれない。男性に伍(ご)した騎乗をしながら男社会にはねつけられた牧原の不遇とは対照的な誰もがうらやむ厚遇。藤田は女性新時代の比類なき寵児(ちょうじ)です。(NHK解説者)

 ◆増沢 由貴子(ますざわ・ゆきこ)旧姓・牧原。1978年(昭53)2月3日生まれ、東京都出身の41歳。96年に細江純子、田村真来とともにJRA初の女性騎手としてデビュー。同期には福永、和田らがいる。JRA通算891戦34勝。現在は萱野厩舎で調教助手を務める。

 ◆鈴木 康弘(すずき・やすひろ)1944年(昭19)4月19日生まれ、東京都出身の75歳。早大卒。69年、父・鈴木勝太郎厩舎で調教助手。70~72年、英国に厩舎留学。76年に調教師免許取得、東京競馬場で開業。94~04年に日本調教師会会長を務めた。JRA通算795勝、重賞はダイナフェアリー、ユキノサンライズ、ペインテドブラックなど27勝。今春、厩舎関係者5人目となる旭日章を受章。

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2019年10月3日のニュース