【G1温故知新】1988年マイルCS2着 ホクトヘリオス

[ 2016年11月16日 06:00 ]

ホクトヘリオスと柴田善臣騎手

 G1の過去の勝ち馬や惜しくも力及ばなかった馬、記録以上に記憶に残る馬たちを回顧し、今年のレースの注目馬や見どころを探る「G1温故知新」。第6回は1988年のマイルCSでサッカーボーイの2着に入る追い込みを見せ、翌年の同レースでも3着に入ったホクトヘリオス。

 “芦毛の追い込み馬”は絵になる。古くはザテトラークやネイティヴダンサー、日本では故・吉永正人騎手が駆ったゼンマツにシービークロス…あるいはタマモクロスが著名だろうか。タマモクロスと同時代を生きたオグリキャップもそうだが、強い芦毛馬というのは華やかなものだ。近年ではゴールドシップが人気を誇り、いわゆる“芦毛伝説”に久々に新たな1ページを加えた。

 一方で、伝説になれなかった芦毛の強豪たちも数多い。例えば中長距離路線の名バイプレイヤー・スダホーク。または“悲運の名牝”となったサンエイサンキューに、マル外の速さともろさを体現したスピードワールド。そして…80年代末のマイル路線に花を添え続けた追い込み馬ホクトヘリオス。彼はタマモクロスと同い年の1984年生まれである。

 2歳時に重賞を連勝し、暮れの朝日杯でもメリーナイスの2着に入るなど世代上位の評価を得ていた。一部で距離不安もささやかれてはいたが、クラシック戦線での活躍が期待されるのは当然であった。ところが、それまでパートナーを務めていた南田美知雄から河内洋にスイッチした弥生賞で馬券圏外に終わると、春2冠はいずれも惨敗。距離の壁にぶち当たった。

 陣営はマイル路線に舵を切る。古馬になった1988年初めから千四&千六に照準を定めると、東京新聞杯2着、安田記念4着など勝ち星は挙げられないまでも安定した末脚を発揮。そして秋初戦の京王杯AH(同年は新潟で開催)で鼻差勝ちを収め、実に1年10カ月ぶりの勝利を飾った。

 再び本領を発揮し始めた88年以降、ホクトヘリオスの鞍上には一貫して柴田善臣がいた。当時の柴田はまだ若手騎手だったが、あたりの柔らかさと追い込みの腕を評価されていた。京王杯AHの次走となったスワンSこそ、前日に負傷してしまったため、急きょ西浦勝一に乗り替わったが(6着)、その後、柴田がホクトヘリオスの背中を他のジョッキーに譲ることはなかった。

 ホクトヘリオスの生涯のハイライトとなったのが88年のマイルCSだ。「弾丸シュート」サッカーボーイの独壇場となった直線で、離れた後方からスルスルと追い込んできた灰色の馬体。4馬身差の2着に終わったとはいえ、ホクトヘリオスは確かに優れた末脚を持っていた。ただ、伸びてくるタイミングがいつもワンテンポ遅かったのだが。

 翌1989年も6月のオープン特別からスワンSまで3戦連続で3着に入り、そして本番のマイルCS。オグリキャップとバンブーメモリーが文字通りの一騎打ちを演じた“伝説のマイルCS”において、南井克巳と武豊がやり合う中、柴田とヘリオスは、まるで自らに割り当てられた業務をこなすかのように淡々と追い込み、3着に食い込んだ。

 今の競馬にホクトヘリオスのような前時代的個性派の面影を見つけるのは難しい。今年のマイルCSに登録しているスノードラゴンは“芦毛の追い込み馬”の流れをくむ貴重な馬である。6歳時に大野拓弥の手綱でG1を制覇した後はしばらく順調に使えず、自慢の末脚も鈍りがち。しかも、今回は2歳時以来となる芝のマイル戦だ。8歳馬の挑戦は傍目には無謀と受け取られるかもしれない。

 ホクトヘリオスの現役生活は6歳春に重賞2連勝してついに花開き、その後のG1連戦で散り果てて幕引きを迎える。彼の系譜を受け継ぐスノードラゴンのフィナーレはどのようなものになるのか…引退はまだ先の話かも知れないが、このG1の舞台でもうひと花咲かせることを期待したい。

(文中の馬齢表記は新表記で統一)

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