【立川ダービー】深谷の衝撃!8番手からバンク新で突き抜けた

[ 2013年3月24日 06:00 ]

決勝進出を決めた深谷知広(右)と話すスポニチ本紙評論家の井上茂徳氏

 6000人を超えるファンが詰めかけた立川バンクに衝撃が駆け抜けた。準決勝10Rで立ち遅れた深谷は残り1周で絶体絶命の8番手。見ている誰もが深谷のまくり不発を予感した最終3コーナーだ。躍動感のあるフォームが急加速を始めると、残り100メートルで前を走る7人をごぼう抜き。大外を白の勝負服があっという間に突き抜けた。

 計測した、上がり10秒6はバンクレコード(従来の記録は遠沢健二の10秒9=93年3月)を20年ぶりに塗り替える驚異的なタイム。検車場で観戦していた選手仲間たちは「信じられない」「強過ぎる」「鳥肌が立った」「人間業じゃない」と口々に感嘆の声を上げた。

 S級トップレーサー162人がしのぎを削るG1最高峰のダービーだが、史上最速G1王者(デビューから684日)の強さ、速さだけが際立っている。初戦はお手本のような抑え先行で逃げ切り勝ち。風圧の壁を自ら切り裂き踏み上げた中で、残り1周は前半10秒6、後半11秒3の好タイムだ。

 ゴールデンレーサー賞は4番手を確保してからまくる冷静な判断力が光った。「仕上がりは問題ない。立川は走りやすいし、やっぱり成績がいい」と確かな手応えをつかみ、自然と笑みがこぼれる。2月の松山全日本選抜に続きG1は3連勝での決勝進出。ダービー完全Vとなれば86年(平塚)の滝沢正光氏(引退)以来、G1完全Vは98年9月の一宮オールスターの山口幸二氏(引退)以来の快挙となる。

 山崎のグランドスラム達成へ、北日本勢5車が鉄の結束を見せたが、深谷が生み出す異次元のスピードと今の勢いなら、その一枚岩をも打ち砕くシーンが思い浮かぶ。直前のいわき平記念決勝では北日本5車(飯野祐―渡辺一―山崎―成田―山田敦)の前にまくり不発の4着(優勝は山崎、2着成田)。決勝の大一番はそのリベンジ舞台でもある。「北日本勢は、かなり強力なので何とかしないと。難しくなると思うけど、優勝できるように考えて走りたい」。単騎の試練を克服してこそ新時代の王者。ダービー王の称号を手に入れ“深谷時代”が本格的に始まる。

 ◆深谷 知広(ふかや・ともひろ)1990年(平2)1月3日、愛知県安城市生まれの23歳。私立桜丘高卒。09年7月豊橋競輪場でプロデビュー。主な優勝はヤンググランプリ2010、第62回高松宮記念杯(11年)。高校時代には第62回国体(07年)スプリント、第15回アジアジュニア選手権大会(08年)スプリント・ケイリン・チームスプリントで優勝。師匠は金子貴志(37=愛知)。1メートル69、88キロ。血液型B。

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2013年3月24日のニュース