“色白の北陸娘”は藤堂高虎の末裔 いざトップレーサーへ

[ 2012年11月17日 17:31 ]

ボートレースのイベントにドレスアップして登場した藤堂里香

 “色白の北陸娘”こと藤堂里香(25=福井支部)の人気が急上昇中。キュートなルックスと、戦国武将・藤堂高虎の末裔(まつえい)というギャップがファンの心をがっちりとつかんでいる。7月の多摩川で初の優勝戦出場を果たした期待の若手が、レースに対する思いや私生活について大いに語った。

 1メートル52と小柄ながら闘志は人一倍。藤堂は、5年目で初優出を果たした7月の多摩川について「今までいっぱいチャンスを逃してきたので。うれしかったけど、今期は調子が悪いからダメですね」と口元を引き締めた。

 気の強さはやはり家系なのだろう。先祖は戦国時代から江戸時代にかけての武将・大名である藤堂高虎。築城の技術にたけ、宇和島城や伊賀上野城などを手がけたことで知られる人物だ。その手腕は豊臣秀吉や徳川家康からも高く評価された。

 「(高虎について)父や母はあまり話さないが、祖母(ばあ)ちゃんには“あなたもしっかりしなさい”とよく言われました」。

 戦国時代から約400年。今度は藤堂が群雄割拠のボートレース界で力を発揮する番だ。

 そんなバックグラウンドを持つ藤堂は福井県大野市育ち。小、中、高とバスケットボールに熱中した。ポジションは攻撃を組み立て、味方の得点を引き出すガード。「相手との間を読んだり、ガードをやっていたことが生きている」と話す。さらに、雪深い地域とあってスノーボードやスキーも大得意。抜群の運動神経の持ち主なのだ。その一方で、レース場では「日焼けは絶対しないように、化粧水をたくさん使う」と自慢の美肌をキープすることも忘れない。競技における攻撃性とニックネーム“色白の北陸娘”のギャップが藤堂の魅力なのかもしれない。

 ボートレース三国を主戦場としているように、現在も出身地の福井県で生活している。とはいってもデビュー時から親元を離れ一人暮らし。現在のオフの楽しみはパン焼き教室に通うことだという。「生地からこねるとおいしいパンができる。7月から通い始めて、7、8回は行っている」と時間を見つけて気分転換。

 料理のレパートリーは増えたが「A級になるまで結婚しない」と本業への思いは強い。「50代までレーサーを続けたい」。昇級、女子王座、賞金女王。ボート界で一国の城を築くまで、藤堂は今後も夢を追い続ける。

 ◆藤堂 里香(とうどう・りか) 1987年(昭62)7月29日、福井県大野市出身の25歳。大野高卒。08年11月16日にデビュー。家族は両親と妹、弟。好きな芸能人は北川景子と三船美佳。普段の服装は「着やすさと温かさ重視で全然オシャレじゃない」。登録番号4473。101期。1メートル52、44キロ。血液型AB。

 <築城の名手>藤堂高虎(とうどう・たかとら)は戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。伊予国今治藩主で、後に伊勢国津藩の初代藩主となる。築城の名手。宇和島城、今治城、篠山城、津城、伊賀上野城、膳所城などを築城した。豊臣秀吉、徳川家康など主君を何度も替えたことでも知られる。

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2012年11月17日のニュース