桂りょうば 「アッという間」節目の高座に意欲 4月9~11日「入門十周年スペシャル」開催

[ 2026年3月16日 11:00 ]

「新・動楽亭のりょうば 入門十周年スペシャル」へ向けて意欲満々の桂りょうば
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 【古野公喜のおもろい噺家み~つけた!】43歳で上方落語界に入って10年。桂りょうば(54)は4月9~11日の3日間、大阪・新世界の動楽亭で「新・動楽亭のりょうば 入門十周年スペシャル」を開催する。連日、桂南光、桂塩鯛、桂八十八ら豪華ゲストが出演。「入門して10年はアッという間でした。自分が言ったことをおもしろいと思ってくれる方が増えてくれれば」と節目の高座に意欲満々だ。

 りょうばは「稀代の天才」として今も語り継がれる桂枝雀さん(99年、59歳で死去)の長男。生まれながらに周りに落語があった。自宅で1日8時間も練習していた父と、文之助、雀々ら弟子が連日稽古。幼稚園の送り迎えも弟子が担当し、自転車のペダルをこぎながらブツブツとネタの稽古。「毎日自転車の後ろで聞いていて、ボクの方が覚えが早かったかも。勝手に覚えてました」という。8歳の時、父の独演会でサンケイホールの高座にゲスト出演した。

 だが、中学進学の際に、父から「落語をやめなさい」と待ったがかかった。「舞台に上がって拍手をもらうのは、枝雀の息子やからというのがある。大人になって自我が芽生えて、周りには生意気に映るかもしれない。だから1回、やめなさい」と説明された。偉大な親を持つ子への愛情の証。さらに「落語をやりたいと思ったら、高校を卒業してから来なさい」と含みも持たされたそうだ。

 ちょうど中学に上がる頃、音楽にはまった。バンドを組んでギターを担当。当初はサザンオールスターズやアルフィーを聞いていたが、知人に勧められてヘビーメタルの世界へ。「ギターの早弾きができず、ドラムを担当しました。でも、将来のビジョンなんてなかった。おぼろげながらパイロットになれないかと」。だが、大学卒業の必要があったために諦めた。「元々、周りに流される性格」で仲間とバンド活動をしながら地方をドサ回り。「楽しかったです」と振り返った。

 同じ頃、役者活動も始めた。旧知の中島らも、わかぎえふの劇団「笑殺劇団リリパットアーミー」で裏方から舞台へ。「言われるがままでした」と苦笑いだ。5歳下の弟を助けるためドラマーとして「shame」に入り、98年に上京。99年に東芝EMIからメジャーデビューした。

 バンド活動しながら、トークイベントに出ていた10年頃、素人落語を再開した。後に師匠になる桂ざこばに「プロになるか」と言われたがそこまで踏ん切りがつかなかった。その後「プロになりたいんですが」と相談すると「遅いわ」。ざこば門下への弟子入りを志願すると「無理や。枝雀兄ちゃんの息子を怒れんやろ。気を遣うから」と断られた。

 「ちゃーちゃん(桂米朝)の最後の弟子になるか?」「東京で立川一門を紹介しようか?」「誰か別の有名な所へ入ったらエエがな」など3案を出してくれた。それでも4、5回弟子入り志願し「きょう断られたら落語家は諦めよう」とざこばさんのところへ出向くと「ウチへくるか」と弟子入りがかなった。当初は父の最初の名前である“小米”を継ぐ話もあったが、ざこば師匠の決めた“猟場”につながるりょうばを名乗ることになった。

 実は20歳の頃、父である枝雀さんから英語の新作落語をやらされたことがある。「英語落語から日本語落語に引っ張ろうと。今から思えば落語をやらせたかったんじゃないですかね」。母からも「お父さんは一知(りょうば)が落語家になってたら、ボクのすべてを教えてたのになってよく言ってた」という話を聞かされたことがあるそうだ。

 ざこばさんから言われて今も印象に残っている言葉がある。「どうなるかはお前次第やで」。“枝雀の息子”でなく、自分の身ひとつで頑張るしかない。一門の先輩噺家も「43歳の変なオッサンが入ってきた」と接してくれたことがありがたかった。「ざこば師匠のところへ行って本当によかったとつくづく思います。感謝しかありません」。遅咲きのサラブレットは父・枝雀でなく、師匠・ざこばを目指す。(古野 公喜)

 ◇桂 りょうば(本名=前田一知)1972年3月3日、兵庫・伊丹生まれの大阪・豊中育ち。高校卒業後、劇団、ロックバンドで活躍後、15年に43歳で二代目桂ざこばに入門。趣味はドラム。

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