海老名香葉子さん死去 昭和の爆笑王支え一門存続にも尽力 初代林家三平さん妻、エッセイスト

[ 2025年12月30日 05:30 ]

海老名香葉子さん
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 落語家の初代林家三平さんの妻でエッセイストの海老名香葉子(えびな・かよこ、本名嘉代子=かよこ)さんが24日午後8時38分、老衰のため都内の病院で死去した。92歳。東京都出身。葬儀は29日に近親者で執り行った。喪主は長男で落語家の林家正蔵(はやしや・しょうぞう、63)。来年1月9日に東京都台東区の寛永寺輪王殿でお別れの式を行う。戦争で家族6人を亡くし、戦後は「おかみさん」として長く一門を支えた激動の人生に幕を下ろした。

 落語界に多大な影響を与えた三平一門のおかみさんが旅立った。落語関係者によると、香葉子さんは10月末から入院していたが、最近まで元気に過ごしていた。亡くなった今月24日は4人の子供がクリスマスソングを歌って励ますと、一時持ち直したという。最期は子供と孫全員にみとられ、安らかに息を引き取った。

 正蔵は公式サイトで「終戦からの激動の時を強く生きていきました。根っからの江戸っ子。情に厚く、涙もろく、真っすぐな気性。大往生でした」と報告した。

 香葉子さんは1952年に三平さんと結婚。新婚当初は経済的に苦しい状況が続いたが、献身的に昭和の爆笑王を支えた。みどり(72)、泰葉(64)、泰孝(正蔵)、泰助(55、二代目林家三平)と、4人の子宝にも恵まれた。時に奔放な三平さんの生きざまに悩まされながらも、80年に亡くなるまで添い遂げた。

 三平さんの死後、45年にわたって一門の存続に尽力。三平さんの総領弟子である林家こん平さんと大所帯を仕切った。個人事務所「ねぎし事務所」の代表取締役を務め95年には三平さんゆかりの品を展示する「ねぎし三平堂」をオープンした。

 東京大空襲では三男の兄を除く、両親ら6人が犠牲となり、戦災孤児となった。11歳で終戦を迎えると親戚の家を転々とし、時には雑草も食べた。その後、生家の釣り竿店「竿忠」に出入りしていた三代目三遊亭金馬さんに引き取られ、その縁で三平さんと出会った。

 自身の過酷な戦争体験から、戦争の悲惨さを語り継ぐことをライフワークとした。自身の体験をつづったエッセー「うしろの正面だあれ」はベストセラーとなり、アニメ化もされた。2005年には私財を投じて東京・上野恩賜公園内に「時忘れじの塔」を建立。毎年、東京大空襲の前日に当たる3月9日に犠牲者を慰霊する集いを行い、今年も車椅子で出席していた。今年は戦後80年で、三平さんの生誕100年の節目の年。昭和の爆笑王を支えた偉大なおかみさんが静かに旅立った。

 海老名 香葉子(えびな・かよこ)1933年(昭8)10月6日生まれ、東京都出身。実家は釣り竿の名匠「竿忠」で、養父になった三代目三遊亭金馬は常連客だった。52年に初代林家三平と結婚。著書に「ことしの牡丹はよい牡丹」「あした天気になあれ―ことばと暮らす」など。政府の教育再生会議委員やたいとう観光大使、名古屋の大須演芸場の最高顧問を務めた。

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