和泉雅子さん、旅立つ 77歳、原発不明がん 女優で冒険家、日本人女性で初の北極点到達

[ 2025年7月19日 04:30 ]

89年5月、日本人女性として初めて北極点に到達し、笑顔で帰国した和泉雅子さん
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 日本人女性として初めて北極点に到達した冒険家で女優の和泉雅子(いずみ・まさこ)さんが9日午後1時3分、原発不明がんのため自宅で死去した。77歳。東京都出身。所属事務所によると、すでに生前葬を営んでおり、故人の遺志で葬儀、お別れの会は行わない。

 事務所によると、和泉さんはがんの闘病中だった今年5月、自宅で倒れて都内の病院に入院。退院後は自宅で療養していたが今月9日、体調が急変。そのまま自宅で亡くなったという。

 和泉さんは10歳で劇団若草に入団。子役としての活動が映画会社「日活」のプロデューサーだった水の江滝子さんの目に留まり、1961年に同社に入社。60~70年代前半にかけ吉永小百合(80)と松原智恵子(80)と「日活三人娘」と呼ばれ、看板女優となった。高橋英樹(81)とは「男の紋章」シリーズで共演。同時に、やはり日活のスターだった山内賢さんとコンビを組み、デュエットで歌手活動。「二人の銀座」「東京ナイト」が大ヒットし、同名映画も製作された。

 25歳の時には都内の一等地に父親と共同で自宅兼ホテルの9階建てビルを建築。実業家デビューについて「事業をやれば、もうひとつ人間に幅ができる」と語っていた。

 70年代に入ると、活動の場を銀幕からテレビに徐々に移していった。そんな中、何より日本中を驚かせたのが1985年、女性として世界初の北極点到達への挑戦だ。テレビ番組のリポーターとして南極の地を踏んだことから北極に興味を持ち「どんなところなのか。仕事ではなくて、プライベートで北極点探検に行ってみよう」と決意したという。

 「和泉雅子北極点遠征隊」の隊長として、1度目は北極点まで148キロ地点で断念したが、89年の2度目の挑戦で成功。米国人女性が数年前に成功していたため世界初とはならなかったが、日本人女性初の快挙に列島が沸いた。到達一夜明けのインタビューでは「この4年間、長かった。長い旅でした」と困難を極めた挑戦について語った。近年は冒険に関する講演なども行っていた。

 2011年9月には、名コンビだった山内さんの葬儀で弔辞を読んだ。「私が逝った時には『二人の銀座』を歌おうよ。また会う日まで、バイバイ」。和泉さんは天国で、山内さんとデュエットをしていることだろう。

 和泉 雅子(いずみ・まさこ)1947年(昭22)7月31日生まれ、東京都出身。63年公開の主演映画「非行少女」では影のある少女を好演し高い評価を得た。同作は同年のモスクワ国際映画祭に出品されグランプリに次ぐ金賞を受賞。日本テレビのクイズ番組「ほんものは誰だ!」(73~80年)ではレギュラー解答者。80年代にはヤマト運輸のCMに出演。著書に「私だけの北極点 北緯88度40分」など。

 ▽原発不明がん がんの転移が見つかっているにもかかわらず、最初に発生した臓器(原発巣)が特定できない場合に診断される。がん全体の1~5%を占めるとされ、5年生存率は10%未満。リンパ節の腫れ、腹水、骨の痛み、食欲不振など、転移先の臓器によって症状が異なるのが特徴。いかりや長介さん、角替和枝さん、森永卓郎さんらが、原発不明がんのため死去した。

 ≪「お互いに学生気分で撮影に…」高橋英樹 共演の思い出語る≫和泉さんと映画「男の紋章」シリーズなどで共演した高橋は自身のブログで「私の日活映画時代に一番共演が多かった方でした。その頃はお互いに学生気分で、撮影に臨んでいました」と振り返った。和泉さんと写った当時のモノクロ写真をブログで公開。「涙も引っ込んでしまうほど胸がつまります。またいつかそちらで共演しようね」とつづった。

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