渡辺裕之さん死去 語っていた老後の憧れドライブ「かっこいいなと思って」

[ 2022年5月5日 15:00 ]

俳優の渡辺裕之さん
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 俳優の渡辺裕之さんが3日、自宅で亡くなったことが5日、分かった。66歳だった。所属のワイケーエージェントが公式サイトで発表した。

 渡辺さんは昨年4月、BS日テレ「おぎやはぎの愛車遍歴」にゲスト出演し、自身の半生を振り返っていた。

 茨城県の写真店を営む両親のもとで誕生した渡辺さん。幼少期からテレビで放送された外国映画を見て、俳優に憧れたという。「おやじがカメラマンで、撮影も好きで、生まれたころから僕はレンズのこっち側にいて、心地良かったんで。だから舞台じゃなくて、映画俳優とかね、俳優になったんじゃないかなって思う」と明かした。

 とはいえ、俳優への道はなかなか遠かったという。スカウトから声を掛けられるのを狙って、東京・原宿を歩いたこともあったが、「まったくなくて」とも語った。大学時代には「仮面ライダー」のオーディションを受けるも不合格。それでもあきらめ切れない渡辺さんは、フジテレビを訪れ、受付で「俳優になりたいんです」と直訴したこともあったという。

 当時、海外の航空会社でアルバイトしており、語学力があったことから、外国人モデルの事務所で働くことに。その後も「(今の仕事が)映像に絶対つながってるぞ」と信念を持ち、宣材写真を売り歩いたところ、「コカ・コーラ」のテレビCM出演依頼が届いたという。

 ところが、演者としては素人だった渡辺さんは、現場で手持ち無沙汰に。「仕事と仕事の合間の過ごし方が分からなくて。することがないんで、スタッフを手伝ってたの。機材を運んだり、レールを運んだり、そこでカメラマンと仲良くなって」。そのカメラマンが撮影した映画「オン・ザ・ロード」に主演として抜てきされたことで、夢の俳優への道を切り開いたという。

 渡辺さんといえば、1980年代に放送された大正製薬「リポビタンD」のテレビCMが有名。俳優・勝野洋(72)との「ファイト!」「一発!」はその後、様々な俳優、タレントに引き継がれている。番組では、「無人島の子安ね。島で手を振るんだけど、頂上が畳2畳くらいしかない」「船からゴムボートで子安島に行くんですけど、1面真っ青。青、青、一面電気クラゲだった」などと、過酷な撮影を振り返った。

 俳優人生の大きな転換点になったのは、86年放送のフジテレビ系昼ドラ「愛の嵐」だった。「これでダメだったらやめようと思ってた時。放送からしばらくして、街の反応がすごかった。『猛』って役名で呼ばれるようになって」と、うれしそうに語っていた。

 さらに番組では、俳優・笹野高史(73)がポルシェに乗ってドライブを楽しんでいることにも言及。「笹野さんが黄色のポルシェに乗っていて、かっこいいなと思って。昔、ポルシェを買おうと思ったら、年を取ってから乗る車だなと思ったことがあった。今、笹野さんがやってらして、かっこいいなと思って」と憧れを口にし、老後に大好きな車を運転する自身の姿を想像していた。

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2022年5月5日のニュース