すぎやまこういち氏 ゲーム音楽確立させたパイオニア 信条は「何度聴いても飽きない音作り」

[ 2021年10月7日 17:20 ]

すぎやまこういち氏(04年撮影)
Photo By スポニチ

 全世界で累計8300万本以上の販売を誇るゲームソフト「ドラゴンクエスト」シリーズの音楽を30年以上にわたって手がけた作曲家のすぎやまこういち(すぎやま・こういち、本名椙山浩一)さんが9月30日、敗血症性ショックのため亡くなったことが7日、分かった。90歳。東京都出身。葬儀は親族、近親者のみで執り行われた。独学で身につけたクラシックの技法を駆使し「ゲーム・ミュージック」というジャンルを確立させたパイオニアだった。

 ドラゴンクエスト・シリーズを手掛けるゲーム会社「スクウェア・エニックス」の公式サイトによると、すぎやまさんは敗血症性ショックのため亡くなった。同社では「故人は『ドラゴンクエスト』シリーズの500曲以上に及ぶ楽曲のすべてをおひとりで作曲されており、制作中の『ドラゴンクエスト12選ばれし運命の炎』の作曲が最後の仕事となりました」と功績を振り返った。

 すぎやまさんは祖母と母の影響で幼少期から音楽に親しんだ。父がレコード店に反物を持ち込み物々交換で手に入れたベートーベンの交響曲第6、7番のレコードが才能の基礎を築いた。付属のオーケストラスコアを見つつすり切れるほど聴いて「耳学問」で音楽理論を身につけた。

 音楽を学んだ経験はないが、ハ長調とホ長調など違うキーの曲を同時に鳴らすことで独特のハーモニーを生む「複調」など、クラシックの高度な技法を独学で習得。天才の名をほしいままにした。

 両親の影響で、ゲームも小さい頃から大好き。花札やバックギャモンなどに興じ、1978年発売の「スペースインベーダー」をきっかけにテレビゲームにもハマった。

 ライフワークとなった「ドラクエ」シリーズの音楽を手がけることになったきっかけもゲームだった。ゲーム会社「エニックス」(当時)が発売したパソコンゲーム「森田将棋」に夢中になった末、同封のアンケートハガキに「音楽が入っていないので何とかしたら」と書いて送った。すると、同じことを考えていた担当者の目に留まり、協力を求められた。

 ほどなく、86年発売の「ドラクエ」第1作の音楽を手がけることに。与えられた猶予は1週間だったが、ゲーム音楽屈指の名曲と賞される「序曲:ロトのテーマ」を5分で作曲するなど、すべての音楽を完成させる卓越した手腕を発揮した。

 当時のファミコンは同時に3つの音しか出せなかった。本当に必要な音を残すことで無駄な要素がそぎ落とされ、オーケストラのような壮大な曲調が実現した。ゲームの完成度を格段に上げ、同作は大ヒットとなった。

 「ドラクエ」シリーズの人気が社会現象化する中、88年のアルバム「交響組曲『ドラゴンクエスト3』そして伝説へ…」は35万枚を売り上げるヒット。この作品を契機に「ゲーム・ミュージック」という分野が生まれた。

 ゲームは、繰り返しプレーするものだけに「何度聴いても飽きない音作り」を信条とした。いわゆる「聴き減りしない」魅力はクラシックと共通した。

 「天職」と語ったドラクエ音楽が評価され昨年、文化功労者に選出された際には「ゲーム音楽が社会に認められとても嬉しい」と話した。そして今夏、東京五輪の開会式。入場行進で高らかに流れた「序曲」は世界中の称賛を受けた。一世一代の晴れ舞台を見届け、天才が天に召された。

 ◇すぎやま こういち(本名・椙山浩一=すぎやま・こういち) 1931年(昭6)4月11日生まれ、東京都出身。大学卒業後、文化放送に入社し、報道部、芸能部を経る。1958年にフジテレビ(翌年開局)に入社し、65年に退社。ゲーム好きとして知られ、日本バックギャモン協会名誉会長などを務めていた。2020年、文化功労賞を受賞。

続きを表示

2021年10月7日のニュース