津川雅彦さん逝く 妻朝丘雪路さん死去から3カ月余、歯に衣着せぬ発言 実業家の顔も

[ 2018年8月8日 05:30 ]

07年、玩具チェーン「グランパパ」横浜元町店オープンを親子で祝う(左から)朝丘雪路さん、津川雅彦さん、真由子
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 映画「狂った果実」や「マルサの女」など伊丹十三監督の作品などに出演、また「寝ずの番」など監督としても活躍した俳優の津川雅彦(つがわ・まさひこ、本名加藤雅彦=かとう・まさひこ)さんが4日午後5時45分、心不全のため都内の病院で死去した。78歳。京都府出身。4月に最愛の妻、朝丘雪路さん(享年82)を見送ったばかりだった。葬儀は近親者で済ませた。喪主は女優で長女の真由子(まゆこ、本名加藤真由子=かとう・まゆこ)。

 朝丘さんが亡くなってからわずか3カ月余、津川さんが愛妻を追うように逝った。関係者によれば、最後の仕事は来年2月放送予定のドラマ。一人娘で女優の真由子(44)は、相次いで両親を失いショックを受けているという。後日、両親のお別れ会を開く予定。

 津川さんは、朝丘さんの悲報が明らかになったことを受け5月20日に会見。「彼女を残すよりはいい結果になった」と悼んだ。5年前にアルツハイマー型認知症を患った朝丘さんを、3年前から自宅に引き取り献身的な介護を続けていた。一方で、自身も昨年秋にかかった肺炎の影響で酸素吸入器のチューブを鼻につけ、自身の体調については「大丈夫じゃないね。こんな格好をして大丈夫と言ったらウソになる」と弱気な一面も見せていた。この時が公の場での最後の姿となった。

 津川さんは芸能一家に生まれ、子役として数本の映画に出演した後、石原裕次郎の弟役を探していた原作者の石原慎太郎氏に請われ、1956年の映画「狂った果実」の主役で本格デビュー。一躍、日活のスターとなった。

 朝丘さんとは73年に結婚。おしどり夫婦として知られたが、プレーボーイとしても鳴らした津川さんが97年に不倫が報じられた際には、朝丘さんが「私は空気のような存在。もっと遊んでくれればいい」と寛容な発言。夫婦の絆の深さを感じさせた。

 兄の故長門裕之さん(享年77)とはデビュー当時から比較されていたが、津川さんが82年「マノン」でブルーリボン賞助演男優賞を受賞。長門さんがその実力を認め、その後は「八代将軍吉宗」などで共演している。映画「マルサの女」、「ミンボーの女」など故伊丹十三監督作品の常連として活躍。NHK大河ドラマ「葵 徳川三代」などで5度も徳川家康を演じるなど歴史上の人物も得意とした。

 2006年には日本映画の父とされる祖父・牧野省三監督の姓を冠した「マキノ雅彦」名義で「寝ずの番」を初監督。その後も「次郎長三国志」、「旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ」を送り出した。

 政治的な発言でも知られ、歯に衣(きぬ)着せぬ論客ぶりで議論を巻き起こすこともあった。実業家としても、真由子が誕生した時に木製のおしゃぶりをドイツから取り寄せたのをきっかけに、玩具・絵本販売店「グランパパ」を設立。一時は全国展開するまでに成長したが、その後業績が悪化し6億円を超える負債を抱えた。この時も朝丘さんが返済のために東京都世田谷区の自身名義の自宅を売却して破産を免れた。

 ◆津川 雅彦(つがわ・まさひこ)1940年(昭15)1月2日生まれ、京都市出身。祖父に“日本映画の父”牧野省三監督、父に沢村国太郎、兄に長門裕之さん、母方の叔父にマキノ雅弘監督らがいる芸能一家の出身。56年「狂った果実」で本格デビュー。作者石原慎太郎氏に気に入られ、同氏の小説「太陽の季節」の登場人物から「津川」と命名。「あげまん」「スーパーの女」ほか伊丹十三作品などで活躍。06年には「マキノ雅彦」の名で監督業に進出し映画「寝ずの番」「次郎長三国志」などを世に出した。

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