米朝悲痛…妻・中川絹子さん死去 車いすで通夜に出席

[ 2014年6月28日 05:30 ]

桂米朝夫人・中川絹子さんの祭壇

 落語家で人間国宝の桂米朝(88)の妻・中川絹子(なかがわ・きぬこ)さんが27日午前1時1分、心不全のため兵庫県西宮市内の病院で死去した。88歳。10数年前からパーキンソン病で闘病を続けていたという。この日、尼崎市内で通夜が営まれ、米朝が参列。昨年1月に大阪市内で開かれた米朝一門会であいさつに立って以来、約1年半ぶりに公の場に姿を現し、失意の表情をみせた。

 祭壇の中央には56年間連れ添った妻の、着物姿で柔和にほほ笑む遺影。米朝は開式の約1時間前、2人の孫弟子に付き添われて車いすで入場し、喪主を務める長男・米団治(55)の隣で、悲しみを隠すように静かにじっと祭主の動きを見守った。

 13年8月に肺炎で尼崎市内の病院に入院した米朝は10月に退院し、自宅で静養。1~2週間に1回は妻の病院を見舞っていたという。なかなか言い出せない孫弟子から、妻の死を聞いたのは27日の昼ごろ。米団治が「そら悲しいですよ」と父の思いを代弁した。この日の通夜は1年半ぶりの公の場。米朝の手を握った月亭可朝(76)は「寂しがってはるやんか」と、その心理を読み取った。

 米団治は26日に静岡・浜松での落語会を終え、帰りの新幹線の中で絹子さん危篤の連絡を受けたという。病院へ駆け付け、2人の弟とともに最期をみとった。「息を引き取ったとき思わず“産んでくれて、ちゃーちゃん(米朝)を支えてくれてありがとう”と言った」と振り返り、涙を浮かべた。絹子さんは70歳を超えたころから体調を崩し、数年後にパーキンソン病と診断され、3年前からは入院生活が続いていたという。

 絹子さんは大阪・天満の乾物問屋の一人娘として生まれ、幼少時から三味線、日本舞踊など芸事に精通。1940年には大阪松竹少女歌劇団(現在のOSK日本歌劇団)に入団し、「駒ひかる」として男役で活躍した。米朝とは58年4月に結婚。故枝雀さんや桂ざこば(66)ら多くの弟子を育てた米朝と一門を支えた。周囲に気配りができる優しい人柄で、落語指導に熱中する米朝に代わり弟子の食事や礼儀作法、身の回りの世話まで奮闘。弟子らに「ママ」と呼ばれ慕われた。

 通夜には、60人を超える米朝一門の弟子のほか計210人が参列した。

 ◇主な参列者 桂ざこば、月亭可朝、笑福亭仁鶴、桂きん枝、桂南光、桂吉弥、笑福亭銀瓶、桂団治郎、桂慶治朗、渋谷天外、曽我廼家文童=敬称略、順不同

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