バタヤン逝く…昭和歌謡の最長老、3年以上入院生活

[ 2013年4月26日 06:00 ]

2000年12月、歌手生活60周年を祝う会のステージで熱唱する田端義夫さん

 「バタヤン」の愛称で親しまれ、「大利根月夜」「かえり船」などのヒット曲で知られる現役最高齢歌手だった田端義夫(たばた・よしお、本名田畑義夫)さんが25日午前11時45分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。94歳。三重県松阪市出身。葬儀・告別式は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く予定。喪主は未定。10年3月に自宅で倒れ、入院生活を3年以上続けていた。

 胸の前で水平にギターを抱え、右手を突き上げて「オース!」と威勢良くあいさつする姿はもう見られない。長女で個人事務所社長を務める宮田紗穂里さん(34)によると、田端さんは10年3月に都内の自宅で倒れ、病院に搬送された。その際に胃かいようが見つかり入院。その後、一度も自宅に戻らなかった。

 看病に付き添った夫人(61)によると2、3日前に体調を崩し、24日に容体が急変して危篤状態に。25日午前には紗穂里さん、長男、次男が病院に駆けつけ、家族4人が見守る中、眠るように息を引き取った。

 夫人は「最期までジョークばかり言ってました」と明かした。紗穂里さんは「好きな物を食べ、好きなことをして、最高の人生だったと思う」と振り返った。

 昨年結婚した紗穂里さんは、今年9月に第1子を出産予定。田端さんは初孫の誕生を闘病の支えにしていたという。

 結婚を4度経験するなど恋多き人生だった。入院中も看護師の女性の手を握っては笑顔を見せ、家族もこれを「元気のバロメーター」と位置づけていた。よく尻を触られたというレコード会社の女性社員も「田端さんにとっては社交辞令。“女の子にはそういうことをしないと失礼だ”と言って」と笑いながら話す。

 来月18日には、波瀾(はらん)万丈の生涯に迫った音楽ドキュメンタリー映画「オース!バタヤン」(監督田村孟太雲)の公開を控え、楽しみにしていた。

 幼少時代を過ごし「第二の故郷」と呼んでいたのが大阪市の鶴橋。06年4月9日に母校の北鶴橋小学校の体育館で行った“凱旋コンサート”の映像を中心に、インタビューや関係者の証言を交えて音楽人生を浮き彫りにしていく内容。最後の公の場となった08年2月の名古屋公演も収めた。製作したアルタミラピクチャーズの桝井省志代表(55)は「完成した映画を病床で(DVDで)見ていただいたことがせめてもの慰めです」と悼んだ。

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