井筒監督も悲痛「恩人中の恩人。面倒見の良い人だった」

[ 2012年10月19日 06:00 ]

若松孝二監督死去

 「パッチギ!」などで知られる井筒和幸監督(59)はスポニチ本紙の取材に「“死ぬまで映画を撮るで”というような人で、ずっと長生きしてるやろと思っていた人が…」と悲しみを語った。

 78年に自主製作だった映画「肉色の海」が、若松監督の推薦を受けて配給が決定。「オレの映画を配給会社に売ってくれた恩人中の恩人ですよ。この業界の最初の恩人。若い衆の面倒見の良い人だった」と振り返った。

 ▼荒戸源次郎監督(40年来の親交)独特の殺気と色気があった人。60年代にピンク映画の中に主張を盛り込み、一つの映画の形をつくった。少しのインターバルはあったけれど、映画をつくり続けた継続性、パワーは凄かった。

 ▼阪本順治(映画監督)(デビュー作)「どついたるねん」(89年)を気に入っていただいて、名古屋で試写会をする時、若松さんが会場を押さえてくださった。監督のことを父親のように慕っていたスタッフや出演者たちが心配です。

 ▼堤幸彦(映画監督)日本映画界にとって大事な人。尊敬していましたから残念です。僕もだんだん年を重ねてきたので、社会派的なことを考えていきたい。先輩の死をムダにしたくない。

 ▼内田裕也(ロック歌手)「餌食」(79年)「水のないプール」(82年)「エロティックな関係」(92年)と3本でご一緒した。よくケンカもしたけど「何かをやろう」という姿勢には共感していた。70年代、80年代をともに疾走したと思っている。高橋伴明、崔洋一ら後輩たちも育て、映画界に貢献した人だった。70歳代後半を迎えて、さあこれからラストスパートという時に本当に残念だ。

 ▼大沢樹生(俳優)亡くなられたと聞き、大変ショックを受けております。ドラマ、映画ととてもお世話になり、また、親しくさせていただいておりました。今はただ、ご冥福をお祈り申し上げます。

 ▼高良健吾(「千年の愉楽」に出演)若松組に少しですがいれたこと、あの熱に触れられたことは、絶対に忘れません。

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