志の輔 遺志引き継ぐ…談志さん行きつけのバーで追悼会

[ 2011年11月24日 06:00 ]

時折天井を見上げながら立川談志さんとの思い出を話す立川志の輔

立川談志さん死去

 愛弟子の立川志の輔(57)は8月の一門会の集まりで、声の出ない談志さんがホワイトボードに放送禁止用語を書いて、弟子を大笑いさせたというエピソードを明かし、師匠をしのんだ。

 志の輔はこの日、都内のホールで行われた「桂三木男 独演会」にゲスト参加。終演後の午後9時すぎに会見した。

 「家族の方のみで荼毘(だび)に付されたと、先ほど聞きました。最後の最後まで師匠らしい。自分の良しとしない姿は弟子どもに見せてなるものか、というダンディズムだったんじゃないかな」と声を振り絞った。

 最後に会ったのは、今年8月に開かれた一門の会だった。声が出なかった談志さんは、ホワイトボードを用意。弟子はどんなアドバイスがもらえるのかと見守った。しかし、談志さんが書いたのは、ボードからはみ出さんばかりの大きな文字の放送禁止用語だった。「えっ、これを書くのかよ?って思いました。もうみんな大笑いでした」と話した。

 83年1月、29歳の時に「前座修業中もアルバイトが許される」という理由で弟子入り。同年、定席寄席での前座修業が始まる直前、談志さんが一門とともに落語協会脱退。修業時代は波乱の連続だったが、「“バカヤロウ”って怒鳴っても、帰り際には“うまくやれよ”とニコリと笑いかけてくれた」という情の厚い師匠に付いていった。

 今後の立川流については「今はビジョンはありませんが、師匠が残していったものを思い起こして、一門で考えていきたい」と遺志は引き継いでいく決意。「天国から“オメエがしっかりしろ”と言われてる気が……師匠、お疲れさまでした」と目に涙をためた。会見後は、談志さんが行きつけだった銀座のバーで一門と追悼会。深夜すぎまで思い出を語り合った。

続きを表示

2011年11月24日のニュース