笑点で共演…歌丸「私を世に出してくれた大恩人」

[ 2011年11月24日 06:00 ]

横浜市の自宅前で取材に応じた桂歌丸

立川談志さん死去

 立川談志さんの訃報を受け、親交の深かった落語家仲間たちからは悲しみのコメントが相次いだ。「笑点」で共演した桂歌丸(75)は「私を世に出してくれた大恩人」と追悼。

 談志さんが司会を務めた「笑点」放送開始時に大喜利メンバーの1人だった歌丸。45年たった今では同じ司会者として番組を仕切っている。「前身番組(金曜夜席)から私を引っ張ってくれて世に出してくれた大恩人」と慕う仲間の死。09年に他界した五代目三遊亭円楽さん(享年76)に続き「また落語界から一つの星が消えてしまいました」と冥福を祈った。

 悲報を知ったのはこの日。三遊亭小遊三(64)三遊亭円楽(61)らと愛媛県松山市で行った落語会でのことだった。「高座の前に円楽から聞いたが、ガセだと思っていた。高座を終えて(午後)1時半くらいかな。また聞いたら本当だと分かった。ガセだったら良かったのに…」と計り知れないショックを受けたという。午後8時頃に横浜市内の自宅に戻った歌丸は「これからは片意地張らずに、のんびりとわれわれ落語界を見守ってもらいたい」と豪快に生きた故人をしのび天を見上げた。

 同じく「笑点」出演者で談志さんにかわいがられていたのが林家木久扇(74)だ。国立演芸場で高座を終えた午後3時半頃に夫人の電話で一報を知った。「僕を番組に入れてくれたのも、座布団を積み上げる形式を考えたのも談志師匠」としんみり。半年前に東京・銀座のバーで会ったのが最後で「おいバカ、元気か」と声を掛けられた。「バカバカってよく言われたけど、申し訳ないと思ったのか、たまに高座のプログラムの隅に“ゴメンナ”と書いたのを楽屋に届けてくれた」と悲しみをこらえた。

 かつての弟弟子も深い悲しみに暮れた。同じ五代目柳家小さん門下生で、落語協会会長の柳家小三治(71)は59年の入門から約4年間ともにに修業を積んだ。「芸の上でも生き方でも人の使わない手をやろうとしていた」と当時から独特の存在感を放っていたといい「わがままと勝手を両手に持った生き方だった」と兄弟子の死を悼んだ。

 ▼桂米朝(人間国宝) 惜しい噺家を亡くしました。わがままな性格から、いろいろと世間に物議を醸したこともありましたが、実は“むちゃ”を演じていたような気がします。ああ見えても、談志は神経の細やかなところがあるんです。

 ▼桂南光 枝雀の弟子ということもあり、親しくしていただいてました。東京・芸術座での南光襲名披露公演では楽屋裏で、柳家小さん師匠ともめごとを起こしてはったことを思い出します。来阪されての独演会でいきなりスーツ姿の自分に「出ろ」と命じてつなぎ役をやらせ、笑って見ていたのが懐かしいです。

 ▼橘家円蔵 ポンポン冷たく言っているようだけど、心は本当に優しい人。発想が凄くてかなわないと感じていた。

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2011年11月24日のニュース