森繁久弥さん 10年前先立たれた長男眠る墓へ

[ 2009年11月12日 06:00 ]

森繁さんが生前に購入していた墓地。森繁家だけでなく、菅沼家の兄、馬詰家の姉の墓も建てていた

 【森繁久弥さん死去】訃報から一夜明けたこの日、「森繁家」と刻まれた墓前に一輪の菊の花が供えられていた。雨中、ファンが訪れたのだ。

 森繁さんは40年以上も前に自分が入る墓を建てていた。関係者によると「社長シリーズ」「駅前シリーズ」が大当たりした60年代に「よし、金が入った。墓を建てよう」と言いだしたという。
 同所は15代将軍慶喜ら徳川家の霊廟(びょう)があり、鳩山一郎、渋沢栄一ら多くの著名人が眠っている。なぜ、この場所を選んだのか。
 調べてみると、同じ霊園内のほど近い場所に父親で実業家の菅沼達吉さんの墓があった。森繁さんは10年前、本紙のインタビューに「オヤジの記憶がないんですよ。しっかりと抱いてくれたのでしょうが、そのぬくもりを知りません」と寂しそうに言い、幼い頃の記憶をとつとつと語り始めたことがある。
 父の記憶がないのは無理もない話で、亡くなったのは森繁さんが2歳の時。母が正妻でなかったため、長兄は母方の「馬詰」姓を、次兄は「菅沼」、森繁さんは祖父で幕臣だった森泰次郎さんの縁戚(せき)の「森繁」を継いだという。「親を思い、子を思う、それが人間本来の姿です」と繰り返し説いていた。
 「オヤジの胸にいつか抱かれたい」との思いがこの場所に墓を建てさせたのだろう。祖父は徳川幕府の大目付。「森家の先祖は森蘭丸だ」が森繁さんの自慢だった。
 親、兄弟を大切にした森繁さんらしく、購入した墓地には3つの墓がある。実兄の俊哉さんが眠る「菅沼家」、母の愛江さんが眠る「馬詰家」、そして「森繁家」には90年に他界した万寿子夫人(享年76)と10年前に先立たれた長男・泉さん(享年58)が眠っている。
 10年前も、泉さんが子供の時「壁に落書きをしたので引っぱたいてねえ…」と思い返しながら「毎日、死んだせがれのことばかりを思う。達者なのか」と思いを募らせていた。泉さんへの思いは深く、自ら「最後の仕事」として選んだのも、息子を亡くした年老いた父親があの世の息子を案じる物語「霜夜狸」の独り芝居だった。関係者によれば、森繁さんは万寿子夫人と泉さんと一緒の墓に入る。納骨は後日開かれる「お別れ会」を終えてからになるという。

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2009年11月12日のニュース