三木先生ありがとう…さゆり、冬美が深い悲しみ

[ 2009年5月12日 06:00 ]

 三木たかしさんの突然の悲報は音楽界に衝撃を走らせた。「津軽海峡・冬景色」(77年)など三木作品で成長していった石川さゆり(51)は「今は、言葉も、心の整理もつかないくらい悲しい」とコメントするのが精いっぱい。坂本冬美(42)も「夜桜お七」(94年)の秘話を明かして悲しみに暮れた。

 「津軽海峡・冬景色」の大ヒットで、日本を代表する演歌歌手になる道筋をつくってくれたのが三木さんだった。それだけに悲しみは深く、石川は「“必ず良くなります。そして、今後もいい唄を作り、さゆりのイメージを膨らませる曲を書きますね”というメールをいただいたのが、きょうは信じられない思いです」と文書でコメントを出した。
 1日から福岡市の博多座で座長公演「長崎ぶらぶら節」(27日まで)の舞台に立っている。この日は正午からの1回公演だったが、関係者の配慮で終演後まで三木さんの死は伏せられた。第2部のオンステージでは1曲目に「津軽海峡・冬景色」、2曲目に「能登半島」と三木作品を熱唱。はからずも天国に届ける形となった。
 93年6月に55歳で恩師の猪俣公章氏を亡くした冬美にとっても三木さんは再起に力を貸してくれた恩人だった。「(猪俣先生の)葬儀の時、三木先生がずっと私の後ろにおられ、ひつぎに向かい“そばにいってやれ”と何度も背中を押されたことを覚えています」としみじみ。
 翌94年には再起曲「夜桜お七」をプレゼントされたが、同曲は演歌初の16ビートの画期的な作品で、レコード会社は発売に反対。「でも三木先生は“この曲が30万枚売れなかったら頭を丸める”と…。責任を感じながら作ってくださったんだなと今でも思い出します」とポツリ。猪俣氏の死でできた穴を埋めてくれた三木さんに感謝の言葉を送った。

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2009年5月12日のニュース