昭和の宝がまた…作曲家・三木たかし氏が逝く

[ 2009年5月12日 06:00 ]

死去した作曲家の三木たかしさん

 「津軽海峡・冬景色」「時の流れに身をまかせ」など多くのヒット曲で知られる作曲家の三木たかし(みき・たかし、本名・渡辺匡=わたなべ・ただし)さんが11日午前6時5分、岡山市内の病院で死去した。64歳。東京都出身。06年7月に下咽頭(いんとう)がんの手術を受け、闘病しながら曲を作り続けた。昨年12月にこの世を去った遠藤実さん(享年76)に続き、昭和の歌謡界に多大な功績を残した作曲家が他界した。

 三木さんはゴールデンウイーク中に体調を崩し、前日10日に緊急入院。一時持ち直したものの、この日明け方に容体が急変。恵理子夫人(33)に見守られながら息を引き取った。06年6月に下咽頭がんを告知され、同年7月に声帯の半分を切除する手術を受けた。その後がんは肺にも転移。岡山の病院には、がん治療の名医がいると紹介されて入院していた。
 妹で歌手の黛ジュン(60)は知らせを受け、岡山の病院で三木さんと対面。その後、マスコミ各社にファクスで「兄のギターで歌っていた幼い日々や、初めて兄の作品を吹き込みした時のことが、次々とよみがえってきて今は言葉にできません」とコメント。2人は1月13日にNHK歌謡コンサートに出演し、30年ぶりに兄妹共演を果たしていた。
 遺体を乗せた車はこの日午後3時に岡山を出発。深夜に東京都世田谷区の自宅に到着した。一足先に東京に戻ってきた黛が無言の兄を迎えた。
 三木さんは昨年3月、愛弟子の歌手保科有里の公演に出演。左腕の皮膚と神経をのどに移植したため左腕が思うように動かなかったが、懸命にギターを演奏。観客の喝采を浴びた。
 歌手志望だった三木さんは中学時代、黛が作曲家の船村徹氏(76)のもとで受けていたレッスンに同行し作曲家の道を勧められた。67年に泉アキの「恋はハートで」で作曲家デビュー。石川さゆり「津軽海峡・冬景色」などの歌謡曲から、アニメ「アンパンマン」や全国高校サッカー選手権のテーマ曲など、ジャンルを超えた作品を生み出す先進性で、05年には紫綬褒章を受章した。
 作詞家の荒木とよひさ氏(65)とは名コンビで知られ、故テレサ・テンさん(享年42)の「つぐない」「時の流れに身をまかせ」などミリオンセールスを連発。荒木氏は盟友の早過ぎる死に「心がちぎれるほど悲しくて言葉がありません」とコメントするのがやっとだった。
 昨年12月には同じ作曲家の遠藤実さん(享年76)が死去。2日にはロック歌手の忌野清志郎さん(享年58)が旅立ったばかり。日本の音楽界はまた1人、宝を失ってしまった。

 通夜は19日午後6時、葬儀・告別式は20日午前10時から、いずれも東京都港区芝公園4の7の35、増上寺=(電)03(3432)1431=で。

 三木 たかし(みき・たかし) 本名渡辺匡(わたなべ・ただし)。1945年(昭20)1月12日、東京都生まれ。中学卒業後、ミュージシャン活動を経て作曲家に転身。日本レコード大賞作曲賞3回、古賀政男記念音楽大賞2回、有線大賞3回。日本テレビ「スター誕生!」では審査員も務めた。日本作曲家協会の理事長と会長代理を兼任。日本音楽著作権協会理事。恵理子夫人とは99年3月に結婚した。

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