三浦友和 清志郎さんは「尊敬、あこがれ」

[ 2009年5月4日 06:00 ]

弔問に訪れた三浦友和も沈痛な表情

 清志郎さんの死から1夜明けた3日、高校時代からの親友で俳優の三浦友和(57)は通夜参列に先立ち、追悼コメントを発表した。清志郎さんから応援歌を贈られ地球1週マラソンに挑戦中のタレント・間寛平(59)は米カンザス州で訃報を耳にし、40年間親交があった歌手・泉谷しげる(60)は声を荒らげて悔しがった。

 竹馬の友が旅立った。三浦は午後7時20分ごろ、沈痛な面持ちで通夜会場に到着。式場内で約20分間、親友に別れを告げた。車で会場を後にする際にも、口を真一文字に閉じ、号泣したためなのか目をしばたたかせた。表情は疲れ切っていた。
 日中は悲しみをこらえ都内でCM撮影。死去当日の2日も、都内でCMを撮影しており、終了後にスタッフから訃報を聞かされ絶句。気が動転し報道各社からの問い合わせに応じられる状況ではなかった。悲しみが癒えるはずはないが、一夜明けて、所属事務所を通じ心情を公表した。
 「彼は高校の同級生でありながら、尊敬し、またあこがれのミュージシャンでもありました。その思いは、いまでも変わりません。残念です。冥福を祈るばかりです」
 残念です…の一語に、無念の思いが込められていた。
 東京都日野市の都立日野高校の同級生。お互い別々のバンドだったが音楽活動をする仲間だった。三浦はかつて本紙の取材に「清志郎くんのバンドは高校3年の後半にレコードデビューして、僕たちは彼らに何となく付きまとっていた」と楽しそうに話していた。闘病の報告も受けており、「よく電話でやりとりをしている」と語っていた。
 芸能界に進んだ後も親交は続いた。清志郎さんは絵画、自身は陶磁器などを出品していた「都立日野高校OB展」を、毎年のように一緒に訪問。清志郎さんの72年の初ヒット曲「ぼくの好きな先生」のモデルとなった恩師・小林晴雄元教諭(77)を交え、昔話に花を咲かせながら会場を回った。
 今年1月下旬に東京都国立市のギャラリーで開かれた同展覧会が最後の対面。清志郎さんは天国へ向かったが、三浦にとっては「尊敬」と「あこがれ」の親友として、永遠の存在だ。

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