【駒田徳広 我が道10】バット振り切ってグアム切符 町田コーチのアドバイスを受けて

[ 2026年5月10日 07:00 ]

83年のグアムキャンプ。藤田元司監督(右)が見守る中、思い切りバットを振る
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 2年目の1982年(昭57)、吉村禎章(現巨人執行役員CBOチーム運営担当)がPL学園からドラフト3位で入ってきた。衝撃的だった。

 月に1回ジャイアンツ寮に貼り出されるイースタン・リーグの成績。5月終了時の打率が私は2割2分台、3年目の岡崎郁さんは2割3分台だったのに、入ったばかりの吉村は3割以上打っていた。こんなやつがプロ野球に来るんだなと思った。

 吉村は奈良県御所(ごせ)市出身。同県人としてやっかみ、劣等感を覚えた。何だよ、俺って。こんなもんかよ。情けねえな。こんなやつはプロ野球選手になっちゃダメだ。親父が言うように、大学に行っとくべきだったかなと思ったりもした。

 ところが、後半戦に入って急に打てるようになった。それまで2本だった本塁打を8月の1カ月で4本。7月12日の時点で・198だった打率を・257まで上げた。後半戦だけなら・310だ。そして7本塁打、26打点。ああでもないこうでもないと試行錯誤を重ねているうちに、ダウンスイングのこつを少しつかんだような気がした。

 それなのに、その打ち方をやめて違う打ち方をしていた秋季練習。2軍打撃コーチとしてヤクルトから巨人に戻ってこられた町田行彦さんに言われた。

 「お前さ、3回三振しても、当たったらオーバーフェンスするかもしれないっていう期待感を持たせたら4打席目があるけど、現状だと、2回三振したら3打席目は代打出した方がいいってなっちゃうぞ。期待感を持たせるスイングをしろ。バットを振り切るんだ」

 このアドバイスを素直に聞き入れ、思い切りのいいスイングに戻したところで1軍からお呼びがかかった。11月中旬に高松、松山で行われた阪神とのオープン戦。中畑清さんに続いて山本功児さんがケガをして一塁手がいなくなったのだ。

 試合途中、一塁守備から入った高松の試合。回ってきた初打席で大町定夫さんの投球をフルスイングした。打球は内外野の間へ。必死に走ってカンチャンヒットを三塁打にした。やっぱり思い切り振るのがいいんだと思った。

 松山では先発で出て無安打に終わったが、パスポートを取るように言われた。どうせ呼ばれないだろうと思っていたら、翌83年のグアムキャンプへ本当に呼んでくれた。フリー打撃の最後はいつも吉村と私の2人。町田さんの教えのままブンブン振ると、記者さんが注目してくれて「ホームラン何本」という記事が載るようになった。

 2次キャンプ地の宮崎へ移動しても1軍のまま。休みの日は2軍の試合に出たりして十数日休みなしの野球漬けだった。紅白戦では最初で最後の対戦となる江川卓さんから右翼フェンスにワンバウンドで当たる二塁打を放った。

 ◇駒田 徳広(こまだ・のりひろ)1962年(昭37)9月14日生まれ、奈良県三宅村(現三宅町)出身の63歳。桜井商から80年ドラフト2位で巨人入団。3年目の83年にプロ野球史上初となる初打席満塁本塁打の衝撃デビューを飾る。93年オフにFAで横浜(現DeNA)へ移籍。通算2006安打。満塁機は打率.332、200打点とよく打ち、満塁弾13本は歴代5位タイ。一塁手としてゴールデングラブ賞10回。

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